財政状態は火の車。突如トップの座につかされたあなたならどうする?――浅田次郎『大名倒産』

文芸・カルチャー

公開日:2020/1/2

『大名倒産』(浅田次郎/文藝春秋)

 ちょっと想像してみてほしい。

 あなたは小規模、けれども伝統ある会社の社長だ。父親が先代社長だったので後継者に選ばれた。だが、実は四男である上、愛人との間にできた庶子だったりするので、本来ならお鉢が回ってくるはずはなかった。

 ところが諸事情重なって、突然有無も言わさずトップの座につかされた。しかも、蓋を開けてみたら会社の財政状態は火の車。このままでは早々に倒産である。その上、父はなにやら自分に内緒で良からぬことを企んでいる様子……。

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 こんな八方塞がりの状況にいきなり放り込まれたら、あなたならどうするだろうか?

 浅田次郎の新刊『大名倒産』(文藝春秋)の主人公・小四郎こと越後丹生山藩の大名 松平和泉守信房が置かれているのは、まさに「こんな八方塞がりの状況」だ。

 領地の石高は3万石。一石とは「一人の人間が1年間に食べる米の量」なので、丹生山藩はおおよそ3万人分の人間を1年間養えるぐらいの生産性を持つ土地、と幕府に見なされていることになる。加賀百万石や伊達六十万石に比べたら微々たるものだが、一応は領地にお城を持つことができるギリギリの線だ。グローバル企業ではないが、立派な自社ビルと東京支社は持てる程度の同族企業、と考えてほしい。

 しかし、内実は借金まみれ。負債は返済可能額を遥かに超え、完全にデフォルトに陥っている。だから、先代社長、もとい先代領主は、現代風に要約するとこう考えたのだ。

「だいたい、こんなゾンビ会社を『伝統ある』って理由だけで存続させたってしょうがないよね。なら、計画倒産をして、自分たちだけ逃げ切ればいいじゃん? 責任は四男一人におっかぶせて。隠し財産を作っておけば、自分の代までに仕えた家臣たちには退職金ぐらい支払えるだろうし。その先のこと? 知ったこっちゃあないわ」

 ひどい。実にひどい話である。

 そもそも大名が計画倒産できるのか、という話だが、債務不履行を繰り返せば当然幕府の耳に入り、管理不行き届きとしてお家取り潰しの沙汰が下りる。そうなると藩の全財産は幕府に取り上げられ、領主は切腹。家臣たちは全員首になって、浪人として路頭に迷う。

 そんな悲惨な状況を生むのだとしても、返せぬ借金を膨らませ続けるだけよりはマシと先代は考えたわけだ。合理的といえば合理的だが、そこには人の暮らしや想いに対する想像力がない。頭はいいかもしれないが、情がないのだ。ハゲタカファンドの人たちが、こんな感じなのかもしれない。

 だが、小四郎は違った。ご落胤にもかかわらず、幼時に足軽の子として育てられた彼は、庶民感覚を知っていた。お金の苦労も、人のささやかな哀歓も。だから、黙って藩を倒産させるわけにはいかなかったのだ。

 こうして、実直であたたかみのある人柄だけを武器に、小四郎の「藩を潰させない作戦」が始まるのだが、そこは浅田次郎。単なる経済小説では終わらせていない。なんと貧乏神や薬師如来、七福神が登場するというファンタジー要素も加えた、とびきりのエンターテインメント時代小説に仕立て上げたのだ。

 上下巻と少々長い作品だが、文章の読みやすさは抜群な上、個性的な登場人物によるユーモアたっぷりのやり取りや、物語を追ううちに自然と頭に入ってくる江戸時代の豆知識などなど、読みどころはあちこちにある。

 だが、なにより胸に響くのは、「危機的な財政状態を放置しておいて逃げ切りを図る親世代」と「負債をどうにかしなければ明日がない子世代」の相克だ。まるで、今の日本社会を映す鏡ではないか。作中の至るところにも、現代的な合理主義と理想主義の衝突が描かれる。それは人と人の対立だけではなく、個人の心の内の葛藤としても表れるのだ。

「人を動かすものは畢竟、力ではなく知恵でもなく、素の心」(下P331より)

 すったもんだを繰り返した小四郎が至るこの心境こそ、現代にも通じる「生きる知恵」ではないだろうか。

 もうすぐ正月休みがやってくる。ゆっくりと酒でも飲みながら、若き侍たちの奮闘と恋とサクセスの物語を味わってみてはどうだろう。

 真正直で腹が据わった、とても素敵な人々が織りなす縁起の良い物語を読めば、とびきり明るい新年を迎えられる、かもしれない。

文=門賀美央子