「今一番チケットが取れない講談師」神田松之丞のストイックな半生

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公開日:2020/1/2

『絶滅危惧職、講談師を生きる』(神田松之丞:著、杉江松恋:聞き手/新潮社)

 とりあえず読んで、面白いから。『絶滅危惧職、講談師を生きる』(神田松之丞:著、杉江松恋:聞き手/新潮社)は、そんな紹介がしたくなる本だ。著者は、「今もっともチケットが取れない講談師」として講談ファンのみならず、幅広い層から支持される神田松之丞さん。

 講談という伝統芸能に聞きなじみのない人も多いだろう。講談はよく落語と比較される。落語が会話によって成り立つ芸であることに対し、講談は張り扇で釈台をパンパン叩き、リズミカルに“お話を読む”話芸の妙によって成り立つ。講談師が生み出す独特の世界と雰囲気に、劇場で心底酔いしれてしまう人が続出しているのだ。

 今でこそ神田松之丞さんの登場で賑やかになってきた講談界だが、少し前までは果てしなく長い低迷に、先の見えない状況が続いていた。本書のタイトル「絶滅危惧職」はまさにその通りで、本書の記述によれば、東西合わせて講談師は100人に満たない状況だという。ブームに華やぐ落語界とは対照的である。

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 だから松之丞さんは自身を「呼び屋」と表現して、テレビや雑誌などのマスメディアに露出しながら講談という芸能の面白さを世間に伝える。「真打」「二ツ目」「前座」という3つの階級のうち、松之丞さんは「二ツ目」ながら、講談界を絶やさず、より発展させていく覚悟を一手に背負って活動しているのだ。

 本書は、そんな若きホープの半生と生き様に迫る。その構成は、基本的にインタビュー形式。聞き手の杉江松恋さんが質問を投げかけ、松之丞さんが答え、杉江さんが相槌を打ち、松之丞さんがさらに話を続ける。インタビューを補足するべく講談仲間たちも登場して、松之丞さんの生き様をより詳細に読者に伝えていく。

 ここまで読んだ読者ならば、さぞかし華々しいインタビューが展開されているように思われるだろうが、前半はまったく違う。父親の死をきっかけに心を閉ざした松之丞少年が周囲と折り合いをつけられず育ち、あるとき落語や講談と運命的な出会いを果たして、すべての青春を注いでのめりこんでいく。

 そして「俺は講談師として成功する」という幻想に近い思いを抱きながら、現在の人間国宝(重要無形文化財保持者)の三代目神田松鯉の弟子となり、下積みの日々が始まるのだ。

 個人的に前半の印象は、昭和初期の人間模様。それも頑固者で世間を知らず、人付き合いが下手。けれどもしっかりと信念を持った一本気ある青年が講談界へ突っ込んでいくストロングスタイルだ。聞き手の杉江松恋さんが「こじらせた青春」と表現するのも納得である。

 それから松之丞さんは講談という新天地を生きるのだが、下積みの前座仕事が絶望的に向いていなかった。適性がなかったことはもちろん、ご本人も全くやる気がなかったのだ。今の活躍ぶりや講談に対する真摯な姿を見ると、まるで重ならない下積み時代である。

 その理由は、前座は師匠や先輩方を立てる存在であり、前座の役割を極めることと講談師としての技術を極めることはまったく違う。松之丞さんはそれを早々に見抜いて、前座の仕事にまるで意味を見いだせなかったからだ。

なんでこんなつまんないやつの着物をたたまなきゃいけないんだよ

 あるときは先輩の着物をたたみながら聞こえよがしにこんな発言をしたというから、きっと松之丞ファンは本書を読んで仰天するだろう。もちろん松之丞さんは前座時代のことを「間違っていた」と評しており、このエピソードに関しては「気が狂っていたんでしょうね」と苦笑交じりに話している。

 なんとか前座時代を耐え抜いた松之丞さんは、「二ツ目」に昇進して以降、その才能を開花させる。本書の後半は、松之丞さんの大活躍の下地となった演芸会ユニット「成金」や「渋谷らくご」が誕生した逸話、講談師としての思い、師匠に対する感謝、思い描く講談の未来などを赤裸々に語る。

 本書は、松之丞ファンはもちろん、講談をまったく知らない人も読んで魅力を覚えるだろう。やはり松之丞さんの人間味あふれるストイックな姿が見事に描かれているからに違いない。

 現在は「二ツ目」である松之丞さんだが、2020年には「真打」に昇進することが決定。さらに六代目となる「神田伯山」を襲名することも決まった。講談ファンならば知らない者はいない、名人の系譜「伯山」を継ぐのである。大変な重圧だろう。

 2020年2月から真打昇進と六代目神田伯山襲名の披露目興行が行われるそうだ。だから本書を読んだ私は読者にこう言いたい。

「とりあえず見に行って、面白いから」。

「今もっともチケットが取れない講談師」の今後がますます期待される。

文=いのうえゆきひろ