パワースポットや神頼みに「信憑性」はある? 全国のパワースポットを徹底検証!

文芸・カルチャー

2020/1/4

『パワースポットはここですね』(髙橋秀実/新潮社)

 普段は格別な信仰心がなくても、お正月だけは神社にお参りに行くという人も多いだろう。冷たい冬の空気のなか参拝し、少額でもお賽銭をあげれば、なんとなく清々しい気分になるものだ。だが、ちょっと意気込んで人気の有名神社などに行ってしまうと、あまりの人混みに新年早々グッタリと疲れ果ててしまうかもしれない。とくに近年は、メディアやネットなどで「パワースポット」として紹介されるような場所が数多くある。その結果、正月でなくてもあっという間に人で溢れかえることになる。
 
 そんな、日本国内のさまざまなパワースポットと、そこにかかわる人々に取材したルポルタージュが『パワースポットはここですね』(髙橋秀実/新潮社)。著者は『ご先祖様はどちら様』(新潮社)で小林秀雄賞を、『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』(新潮社)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞しているノンフィクション作家である。また、村上春樹の『アンダーグラウンド』(講談社)で、地下鉄サリン事件の被害者や関係者への取材のリサーチャーを務めたことでも有名だ。

■パワースポットには本当にいいことがある?

 著者がみずから足を運んだパワースポットは、伊勢神宮や東京大神宮といったメジャーどころから、川崎の巨大ショッピングセンター「ラゾーナ川崎プラザ」の屋上にある出雲神社の分社や、UFO目撃情報が多いとされる福島市飯野町の千貫森など、知る人ぞ知るスポットまで非常に幅広い。

 しかし本書は、パワースポット巡りをしたい人のためのガイドブックではない。そのことは、この本を開いた冒頭にパワースポットの定義として広辞苑の文章が引用されているその引用の仕方からもよくわかる。

「パワースポット:心身を癒やしたり元気づけたりする力に満ちているとされる場所」
(編集部注:原文は太字部分に傍点)

 ここで「とされる」に傍点をふって強調しているのは著者自身だ。ようするに本書は、
「なぜその場所がパワースポットと呼ばれるのか?」
「なぜそこに人が集まるのか?」
「そこに行くと本当にいいことがあるのか?」
といった著者の、いや、多くの人の素朴な疑問と好奇心、それに少しばかりの猜疑心から、さまざまなパワースポットを取材したものなのだ。

■パワースポット人気の裏にある「日本らしさ」

 取材の結果、各地のパワースポットには意外と根拠もなければ歴史的な由来もないケースがあると明らかにされる。たとえば縁結びの神社として最近有名になったある神社は、住所の番地が「1-5-22」で「いいご夫婦」と読めるからという、ただの語呂合わせが根拠となっている。

 あるいは、僧侶が飛び込んで二度と浮かび上がらなかったという恐ろしい伝説のある池が、その池の形がハート型に見えるということから、いつしか恋が叶う場所として騒がれていたりするのだ。それでも、人々はなにかを期待して集まってくる。

 この現象について著者は、「パワーがもらえるから『パワースポット』ではなく、『パワースポット』だからパワーをもらえるらしい」と記している。つまり、なにか具体的な御利益があったからそこがパワースポットと認識されるようになったのではなく、あるとき誰かがパワースポットだと決めたから、御利益を期待して人々が集まってくるようになったということだ。

 この事情は、国内有数のパワースポットとされる出雲大社でさえ、例外ではないそうだ。出雲大社、および出雲地方は日本各地から神々が集まってくる場所ということで特別視されているが、その伝承について民俗学者の柳田國男は「たわいのない俗説」と厳しく指摘する。神々が集まるという伝承は『古事記』や『日本書紀』には記載がなく、中世以降に誕生したものだ。

 ただ、本書はパワースポットの存在や、そこに集まる人々を否定するものではない。「このような形の信仰こそが、日本の伝統的な信仰の形ではないか」というのが、本書の結論だ。著者はあとがきにこう記している。

“西洋の神様は「そこ」にいるので、そこに出かけたり、そこに向かってお祈りしたり、そこを巡って争いをすることになるわけですが、日本の神様は「ここ」だと決めれば、ここに来てくれる。依り代などの目印を設けるだけで来てくれる”

 これを読むと、本書のタイトルに込められた深い意味がよくわかる。

(最後に余談だが、「パワースポット」という言葉の名付け親が、1970~80年代に超能力少年として一世を風靡した清田益章氏であることは、寡聞にして知らなかった。)

文=奈落一騎/バーネット