インフルエンザが大流行するのは個人のモラルのせい? それとも…

暮らし

2020/1/7

『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ(角川新書)』(木村知/KADOKAWA)

 風邪やインフルエンザが流行する、嫌な時期。例えば、電車内や職場、教室などでマスクをせず無遠慮に咳やくしゃみをしている人がいれば、「ちょっと!」と叱責したくもなる。風邪やインフルエンザの流行を抑えるために、マスクをするのは最低限のマナーであり、個人のモラルが問われる。しかし、これらが流行する背景には、個人のモラル以外にも、大きな要因があるのかもしれない。

『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ(角川新書)』(木村知/KADOKAWA)は、風邪やインフルエンザの流行は社会が引き起こしている、と述べる。

 本書がズバリ言い切っているのは、社会における次のような考え方や風潮だ。

・風邪なんかで会社は休めない、休ませない
・インフルエンザだったら休めるけど、医師の診断書が必要
・皆勤賞は尊いものだ

 本書の著者は25年の勤務歴をもつ医師だ。著者は、身近で見てきた事例を交えながら、社会が流行を引き起こすメカニズムを解説している。

 風邪はひき始めの対処が肝心、という考え方がある。学校や仕事があるから長引かせたくない、そもそも長引かせてしんどい思いをしたくない、と考えるのはごく当たり前のことだ。しかし、本書は、初期の症状で受診するのは、まったく無意味と言い切る。症状の出始めでは、あまりに情報が少なすぎて、その後の症状の変化が予見できない、という。そもそも、風邪ではない可能性もある。それがわかるのは、2〜3日の経過を見てからだという。

 ご存じの方もいるだろうが、そもそも風邪は薬剤では治せない。服薬は、ウイルスによるさまざまな症状を力づくで抑え込む行為なのだ。風邪を治す最良の方法は、発熱で体温を上げてウイルスの活動を抑え、鼻づまりでさらなる異物の侵入を防ぎ、鼻汁とくしゃみと咳で異物を体外に排出すること。つまり、自己の自浄作用に任せることだ。服薬すると、諸症状は緩和されるかもしれないが、この自浄作用を抑えることになる。症状が緩和されて、風邪がマシになったと学校や会社に行き、ウイルスを撒き散らす。これは、本人に自覚はないかもしれないが、流行の拡大に加担していることになる。しかし、本人にも言い分がある。“風邪なんかでは休めない”のだ。

 あなたは、ひどい症状で「もしかしてインフルエンザか?」と病院を訪れ、検査を受けたものの陰性だったら安心するだろうか。インフルエンザではないと医師からの言質が取れれば、学校や会社には行くことができるだろう。しかし、本書はこれにも警鐘を鳴らす。検査の陰性結果は、「検査ではインフルエンザウイルスが検出されなかった」ことを示すだけで、「インフルエンザではない」ことを必ずしも意味するものではないらしい。

インフルエンザだけでなく、感染症に罹っていることの証明はできても、その感染症に罹っていないことを証明するのは、かなり困難だ。悪魔の証明といわれる類のものだろう。

 インフルエンザは、初期に熱が出ないことがある。無自覚の患者が社会を駆け回り、大流行が生まれる。このような構図を本書は恐れている。抗インフルエンザ薬のタミフルは、実はインフルエンザウイルスを殺してしまう薬ではない。発熱期間が1〜2日短くなる程度。熱は下がっても、体内にはウイルスが残っている。つまり、この状態で外出すると、他人に感染させるリスクがあるのだ。

 では、風邪やインフルエンザを流行させないために、私たちはどうすればいいのか。本書は、結局、自宅でしっかりと休息することしかない、と言い切る。そのためには、社会の変革が必要だ。つまり、

・風邪なんかで会社は休めない、休ませない
・インフルエンザだったら休めるけど、医師の診断書が必要
・皆勤賞は尊いものだ

 という考え方を改めること。本書によると、人が一生のうちで風邪をひく回数は、約200回。人生80年とすれば、年2.5回程度だ。ちなみにドイツには、有給病欠という制度があるそうだ。一人ひとりの考え方が変われば、社会が変わるかもしれない。少なくとも、自分の友達や部下が風邪気味であれば、「とりあえず来て」「這ってでも来い」という言葉をなくしていけば、社会から流行を減らしていけるのではないだろうか。

文=ルートつつみ