発売後1カ月で3刷! 誰もが知っているけど、誰も知らない感情と情景を描く歌人・岡野大嗣の歌集第二弾『たやすみなさい』

文芸・カルチャー

公開日:2020/1/11

『たやすみなさい』(岡野大嗣/書肆侃侃房)

〈二回目で気づく仕草のある映画みたいに一回目を生きたいよ〉。短い言葉に詰まった切実さが共感を呼ぶのか、岡野大嗣さん2作目の著作となる『たやすみなさい』(書肆侃侃房)は、新人の歌集としては異例の人気を呼び、発売後わずか1カ月で重版を二度も重ねた。

 誰もが想像することができる、というのは特に短歌においては重要な要素だと思う。それは決して「わかりやすい」とか「単純」だとかいうことではなく、誰もが心のなかに自分だけの情景を思い浮かべることができる、そのとっかかりをくれるということだ。

〈みぞれ、みぞれ、みぞれはぼくの犬の名で祖父が好んだ氷の味だ〉
〈404 not found 初夢のどこにあなたは隠れていたの〉
〈冬と春のあいだになにか秋っぽいのりしろを見つけてそこにいる〉

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 みぞれなんて犬は飼っていないし、祖父が好んだ味でもない。誰かを探すような初夢を見た記憶もない。冬と春のあいだに秋っぽさがあるなんて考えたこともなかった。それでも、知っている。この言葉の隙間に流れている感情を、私は確かに知っている。そんな奇妙な懐かしさと切なさが、ときどきぐっとこみあげてくる。

〈知らないのに覚えがある、知っているのに覚えはない。今なのに昔、昔なのに今。見知らぬ誰かと誰かの間に静かに横たわる、時間と光景のささやかな差異を歌えていることを願う。〉あとがきで岡野さんが語るのを読んで、考えてみれば「共感」とは不思議な言葉だなと思う。育ってきた文化や年齢、性別も違う人々が、ひとつの小説や映画、言葉に触れて同じように「いい」と言う。それはひとつの作品のなかに、感情の普遍性と、個別に解釈できる多様性があるからだ。思い浮かべている風景は違っても、「いいね」という共感で繋がっていける。そんなことを岡野さんの歌に触れていると思う。ミスドやドーナツの歌が多くて、岡野さん好きなのかな、と思うその人間味も歌を身近なものにしてくれて、ちょっといい。

〈バースデイ 最初の「おめでとう」を聞く洗面台の鏡の前で〉。寝ぼけ眼で歯磨きをする横で、洗濯物をとりこみにきた母がさらりと言う「おめでとう」。出勤前に化粧をしていると、家を出ようとする恋人が引き返してきて言う少し慌てた「おめでとう」。そこには無数の物語と人生がある。失くしてしまった過去もあれば、これから手にするかもしれない夢もある。

〈たやすみ、は自分のためのおやすみで「たやすく眠れますように」の意〉。悲しいとか嬉しいとか直接的な言葉では解消しきれない想いを描く岡野さんの歌は、一日の終わりに読むと、私たちを穏やかな眠りへと誘ってくれる。

文=立花もも