【第162回芥川賞候補作】「抱かれればいいのに。いい男に」――気鋭の哲学者による“哲学×青春”小説

文芸・カルチャー

2020/1/13

『デッドライン』(千葉雅也/新潮社)

 自分らしく生きるとはどういうことかを示唆した『勉強の哲学 来たるべきバカのために』が、“東大・京大でいま1番読まれている本!”として話題を集めベストセラーとなった哲学者・千葉雅也。その初の小説『デッドライン』(新潮社)が満を持して刊行され、各方面から高く評価されている。千葉氏は本作で第41回野間文芸新人賞を受賞。そしてこの度、第162回芥川賞候補に名を連ねた。

 舞台は21世紀になったばかりの東京。語り手の「僕」は、大学院の修士課程で哲学を研究している。次の年の12月までに修士論文を完成させなければならない状況の中で、「僕」が過ごす、あるいは過去に過ごした日々の出来事が日記のように連なって描かれる。大学院の授業や修士論文に取り組むことと同じくらいの分量で描写されるのは、「僕」が男として〈男を欲望する〉姿だ。

 ゲイバーで、ハッテン場で、公園で、あるいは大学院の仲間たちと訪れた飲み屋で、「僕」の目は自分好みの男を求める。哲学の命題について思考しているときはいかにも大学院生の研究という感じだが、ゲイバーやハッテン場で男を物色するときの語りは〈ジャニーズみたいなイケメンがいる〉などと実に即物的。その対比がおもしろい。

 もっとも、「僕」からすれば、どちらの場面でも素直な自身の思考を述べているにすぎない。哲学について思考するときも、街で好みのイケメンとすれ違うときも、友人たちとご飯を食べるときも、地の文で語られる「僕」の思考は素直で正直だ。だが、ひとたび「僕」が他人と接する場面となると、どうも彼は相手に合わせて無理やり自分を取り繕おうとしているように読める。それは、昔から自分を周囲とは異質な存在であると認識していたから。〈普通の男子になることができなかった。普通であること、男子であることが、僕にとってずっと巨大な謎なのだった〉――普通になること、さらにいうならば“自分は自分でありながら普通になること”、それをずっと彼は切望してきたのだ。

 動物への生成変化? 女になるとは? 研究対象である哲学者たちが唱えた概念を解釈していく中で、“自分は自分でありながら普通になること”への答えを見出そうとする「僕」。物語の後半、いよいよ修士論文の締め切り(デッドライン)が迫り、焦りが手に取るように分かるような語りになっていく。自分とは別の存在になりながらも自分であること、それはどういうことなのか。刻一刻と迫るデッドライン。分からないなら分からないなりにでも論文を書き終えることで、一応の答えは出すことができるだろう。修士論文のデッドラインは、思考を続け苦悩する「僕」の、ある種の救いにもなっている。

 ところで、作中「僕」の名前が示されることはなく、周囲からは〈○○くん〉と呼ばれている。これは、「僕」を特定の何者かに決めつけることを避け、“現在の「僕」ではない「僕」”に変化する可能性を示唆するためだろう。また、〈○○くん〉とすることで、読者自身が「僕」の視点を自分の視点に置き換えて、まるで自分のことのように読める効果もある。作品世界に入り、〈○○くん〉として、知子やK、瀬島くんや篠原さん、徳永先生といった周囲の人物たちと共に、読者もまた「自分と他者との乖離」「生きる中で自分が変化すること」について思考の波を回遊できるのだ。

文=林亮子