生きづらい世の中で、「当事者の身になってみろ」はどこまで実現可能? 明るく考えてみた

社会

公開日:2020/1/16

『ほんのちょっと当事者』(青山ゆみこ/ミシマ社)

「他人事を自分事にする」とよく聞く。しかし、現代社会における“他人事”は量が膨大だ。おそらくリストアップしていくだけでも、図書館があっけなく建ってしまうだろう。それだけ多くの他人事を自分事にしている内に、道半ばにして人生が終わってしまう。
 
 では、そんな状況で他者とうまく共存していくにはどうすればいいのか。そのヒントは「ほんのちょっと」だ。『ほんのちょっと当事者』(青山ゆみこ/ミシマ社)は、フリーランスのライター・エディターである著者が、自身のプライベートな事柄を明るみに出しつつ、他者との間にある分厚い壁をどのように通り抜けられるかについて模索した1冊だ。
 
 本書は、著者の率直なぶっちゃけ話をベースに進んでいく。たとえば、カードローンや学生時代の欲がテーマで「今となってみれば笑える」というようなコミカルな回顧録から、漫画喫茶で起きた嬰児殺し事件の当事者には殺意があったかどうかを検証して裁判傍聴まで試みたというシリアスなものまで幅広い。
 
 10代の頃に著者自身も受けたという性被害については、声をあげられないだけで同様の被害を経験している人が今もきっと数多くいることを想定しながら述べられる。加害者は父親の知り合いで、当時はどのようにそれを言うかという術が見つからず、今でも心にずっと傷跡が残っているという。

“いまになって書くことができたのには、ほかに大きな理由がある。
母がもうこの文章を読むことができないからだ。彼女が生きていたら、
娘の身に起きたことを思い出し、母親として傷ついただろう。父も認知症が進み、この文章を読むことはない。だからこうして書ける。”

 自分ひとりで傷を抱えていると傷跡はどんどんと深くなっていくし、悩み事はどんどん悩ましくなっていく。でもそれが他者のちょっとした、でも核心をついた一言で「あ、それでいいのか」と解决することがあるという。著者の場合は長期の休みを無為にダラダラと過ごしてしまったと嘆いたときに、先輩の「それでええやん」という達観した一言に救われたそうだ。

 著者が耳鳴りの悩みについて述べる章では、「耳鳴りはろうそくの火みたいなもの」と医師から言われたことが助けになったと紹介されている。ろうそくの火は明るい部屋では目立たないが、暗い部屋では際立つ。耳鳴りがするのではなく、それを「あるもの」として受け入れて付き合う。そう考えるだけで、だいぶ気楽になったというのだ。

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「ほんのちょっと」という匙加減は、人から受け取るときだけではなく、主体的に施すことも可能だ。たとえば何か物事に異質さを感じたとき、それを違うものとして排除するのではなく、まずは「あるもの」として受け入れる。そうすると「ほんのちょっと」だけその背景を想像することが可能になり、相手と新たなコミュニケーションが生まれる。そうした思考回路だと、今自分を悩ませていることも、未来の自分の礎になる可能性を秘めているのかもと思うことができる。

“困りごとは、当事者や周りを困惑させもするが、不思議と姿を変えて、困りごとなだけでなくなることもある。考えてみれば、いまのわたしはそうした困りごとがあったから、カタチづくられたのだとも思う。”

 何が正しくて、何が間違っているのか。多様な価値観が渦巻く社会の中で答えを出していくのは至難の業だ。だが、「ほんのちょっと」という浮島を渡り歩いて、足場を増やすトレーニングをすることができれば、気楽かつマジメな心身が鍛え上げられ、自分の人生に健全さをもたらしてくれるのだと本書は教えてくれる。

文=神保慶政