生きづらい今だからこそ、私たちには『男はつらいよ』が必要だ!

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更新日:2020/1/20

『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉(文春新書)』(滝口悠生/文藝春秋)

「男はつらいよ」シリーズは、同じ俳優が主人公を演じた史上最長の映画シリーズとしてギネス世界記録にも認定されている。主役の寅さんこと車寅次郎を演じる渥美清が1996年に死去し、その記録はストップしたが、2019年、シリーズ50作目にして新作の『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開された。『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉(文春新書)』(滝口悠生/文藝春秋)は、この新作公開を記念して編まれた『男はつらいよ』過去49作の名場面集である。

 名場面集といっても、本書は場面写真がちりばめられたビジュアル版ではなく、ほぼ全編がテキストのみで構成された新書である。そもそも、本書は当初「名言集」「名ゼリフ集」として制作される予定だったのだという。

 選者の滝口悠生氏は1982年生まれ(シリーズでいうと第29作『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』と第30作『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』の間に生まれていることになる)、ファンの中ではかなり若い年代だろう。しかし、幼少期からシリーズになじみ、20代はシリーズ全作を繰り返し見続けた上、なんと2015年には『男はつらいよ』をモチーフにした小説(『愛と人生』)まで上梓したという筋金入りだ。

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 そんな滝口氏が、コアなファンだけでなく、シリーズを観たことがない若い層にもその魅力を感じとれるようにと、ただ単に印象的なセリフを映画から抜き出すだけでなく、その前後の空気感や、登場人物のやりとりの妙を味わえる「場面」をピックアップしたものが本書なのである。

 前置きが長くなったが、じつは筆者はこれまで一作も「男はつらいよ」シリーズを観たことがなかった。しかしそれでも、寅さんといえばテーマ曲のイントロとあの四角い顔が思い浮かぶほどで、渥美清が死去して久しい今、新作公開というニュースにはかなり驚いた。フーテンという言葉と、家族が茶の間でちゃぶ台を囲んでいるビジュアルイメージ以上のなんの予備知識もないまま本書を手に取り、読み進めていく中で、どうやら「男はつらいよ」シリーズは、わたしが想像していた昭和のほのぼのホームドラマではないらしいことに気付かされた。

 まず主人公の寅さんだが、思った以上にろくでなしである。ただしこのろくでなし感は、どこかひとつのセリフを抜き出してわかるものではない。寅さんの発する言葉だけでなく、周囲の人びとの寅さんへの態度、言葉があってこそ、ろくでなしだけれどもなぜか愛されているというキャラクターの輪郭が浮かび上がってくるのだということがよくわかる。本書に挙げられている名場面には、寅さんを中心に描かれる人間の滑稽さや悲哀、愛情など、シリーズの魅力が断片的だがいろいろと詰め込まれている。ただ単に聞こえがいいだけの「いいセリフ集」ではないのだ。

 本書は、ピックアップした名場面を家族、社会、恋愛、女性観など、全7章の章立てで構成。目次がそのままセリフの羅列になっているので、シリーズファンなら目次に目を通すだけでも「ああ、こんなこともあった」と楽しめるかもしれない。

 ちなみにわたしも本書を読んでから1969年の劇場版第1作『男はつらいよ』を鑑賞してみた。寅さんが生まれたのがゴッサムシティではなく葛飾柴又のだんご屋で良かった、というものが率直な感想だった。

『男はつらいよ』がスタートした1969年は、高度経済成長によって日本が豊かになった反面、社会にはさまざまなひずみが生まれ始め、はみ出し者を許さない空気が醸成されていったころだという。現在も、多様性は叫ばれているものの、生きづらさを抱える人びとはとても多い。ただ、社会からの疎外感をもし感じたとしても、わたしはジョーカーではなく寅さんを目指したいと思った(いや目指すのもどうかと思うが)。今の時代だからこそ、寅さんの背中にあらためて教わることは多いのではないのだろうか。

文=本宮丈子