明治時代の函館。宇佐伎神社の“子供神様”と記憶を失くした用心棒が人の心の闇を斬る!

文芸・カルチャー

公開日:2020/1/21

『神様の用心棒 うさぎは闇を駆け抜ける』(霜月りつ/マイナビ出版)

 それなりにくよくよしがちな性格なので、人と会った帰り道、ひとりで悔やんでいることが多い。あんなこと言わなきゃよかった、本当ならこうするべきだったのに。相手がすぐに会える人ならば、弁解の機会もあるだろう。だが、昨日まで気軽に声をかけられた人ともう会えないといったことは、悲しいけれど起こりうる。

『神様の用心棒 うさぎは闇を駆け抜ける』(霜月りつ/マイナビ出版)の主人公も、そんな心残りのある人間だ。

 ときは明治、函館の山の上──目覚めた男は困惑した。戦場で負傷したはずが、小さな神社の中にいたからだ。そこに現れたのは、白い水干に短い袴、白い髪を伸ばした少年。意気揚々と彼は名乗る、「我こそは月と夜を司る神、月読之命(つくよみのみこと)。この宇佐伎神社の主神であるぞ!」。

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 男は、兎月という俳号以外、自分についての記憶をほとんど失くしていた。少年神・ツクヨミによると、兎月は10年前の戦争で、すでに死んでいるらしい。今わの際に1匹のうさぎを救い、「うさぎになりたい」と願いながら。しかし、人を殺しすぎた兎月の魂は、無垢なうさぎに転生するには汚れていた。そこで兎月は、魂を浄化するために、ツクヨミのもとで修行することになったのだ。

「なんだ、そりゃ!」。兎月は頭を抱えた。神様の都合で生き返り、神社の中に閉じ込められてこき使われ、挙句うさぎに生まれ変わる。生前のことは覚えていないが、今はうさぎになりたいなどとは思わない。「俺はここから出るぞ!」。そう言ってツクヨミに刀を突きつけたところ、子供のなりをした神様は、目をまんまるにして泣き出した!

 聞けばツクヨミは、この新しい神社の神になるために、本社から分霊されたばかりだそう。いわば生まれたての神様だ。民の信心さえあればすぐに力を持てるというが、まだ参拝する者もあまりない。訪れるものも少なく寂しかったツクヨミは、兎月の目覚めを長いこと待っていたという。なんだかんだほだされて、けっきょく宇佐伎神社の用心棒となった兎月は、刀を振るって参拝客の困りごとを解決し、願いを叶えてやることになるのだが……人の心の闇を斬るたび、蘇る兎月の過去とは? 黒い刀・兼定を持つ辻斬りの正体とは一体?

 人との関係で悔いが残るのは、自分の想いが行動に至らなかったときだ。あんなによくしてくれたのに、その恩を返せなかった。あんなにひどいことを言われたのに、言い返すこともできなかった。信じたいのに、信じ切ることができなかった。もちろんすぐに会えるなら、相手に想いを伝えることも、納得するまで語り合うこともできるだろう。けれど、それが不可能になったとき、人にはなにができるのか。兎月は剣を振るいながら、その答えを見出してゆく。

 宇佐伎神社の子供神様&記憶を失くした用心棒が繰り広げる、ちょっと不思議な和風草子──兎月の刀が斬ってはつなぐ縁と想いに、人はひとりで生きて死ぬのではないのだと、あたたかい気持ちになれるだろう。

文=三田ゆき