わが子の障害を受け入れたとき、いのちは輝く――現実に拒絶と葛藤を繰り返す親たちに迫る

出産・子育て

公開日:2020/1/22

『いのちは輝く』(松永正訓/中央公論新社)

 生まれてきたわが子が障害児だったとき、親は果たして何を思うだろう。普通に生きることさえ難しくなってきた昨今において、人と違うわが子はどんな人生を送るのか。親として無事に子育てができるか。いつまでその人生を支えられるのか。先の見えない不安に押しつぶされそうになる。

 一方で親の不安をよそに、生まれてきた子どもは、どんな障害や病を抱えていても懸命に生きようとする。どれだけ健常な子どもと違いがあっても、それだけは絶対に変わらない。

『いのちは輝く』(松永正訓/中央公論新社)は、幼い命をめぐって、親が障害や病を受け入れることの難しさを語る。著者は、小児外科医の松永正訓さん。本書では、松永さんが小児外科医として目にした数々の親子の物語をつづっており、きっと多くの人の心を揺さぶるはずだ。

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■気管切開の穴を指で塞いだら、この子は楽になるのかしら

 ある男の子には、生まれたときからあごのすぐ下に「リンパ管腫」という腫瘍があった。腫瘍自体は良性なのだが、リンパ管腫が首の深いところまで広がっており、手術できない。腫瘍は自然と縮小することがあれば、突然大きくなることもある。

 男の子が生まれて6カ月後、その腫瘍が突然大きくなって気道を圧迫。呼吸困難に陥ったため、当時松永さんが勤める大学病院へ搬送された。気管を切開して、カニューレと呼ばれる樹脂製のチューブを差し込んで酸素を送る手術が行われ、男の子は一命を取りとめた。しかし数時間にわたって脳に十分な酸素が行き渡らなかったため、脳に障害が残った。母親は子どもを連れて帰り、自宅で育てることにした。

 それから月日が経ち、男の子が3歳になった頃、気管切開した穴がかぶれて出血したため、数日間入院することになった。松永さんが処置を行うため男の子の病室に入ると、母親がベッドサイドでぼんやり座っている。「どうしましたか?」と問いかけると、辛そうに声をしぼり出した。

「この先、この子はどうなってしまうんだろうと思うと、どうしても元気が出ないんです。3歳になっても泣くばかりで、笑うこともない。つかまり立ちするだけで、歩くこともない。このまま生きていて幸せなんでしょうか?」

 この言葉に松永さんは切なくなり、何と返事をしていいか分からなくなったという。この本を読んだ私も同じだ。胸が締めつけられる。きっと妊娠しているときは、笑顔で子どもと接する想像をたくさんしたに違いない。しかし現実は…母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。

 松永さんが病室を離れ、再び戻ってきたとき、母親は怖い顔をして男の子を見つめていた。そして目も合わせず口を開く。

「この穴を、この気管切開の穴を指で塞いだら、この子は楽になるのかしら」

 言葉を失う松永さんへ、母親はさらに続けた。

「大学病院に通院する日は、まだ空が暗いうちに起きて、この子を背負って電車に乗るんです。(中略)千葉駅で降りて大学病院行きのバスに乗ると、バスの中はぎゅうぎゅう詰めなんです。この子も押しつぶされそうになって、私の背中で苦しそうにゼーゼーしているんです。そういうとき、私たち親子の人生ってなんだろうって……」

 健やかに生きる人々にとって、障害児を育てる困難は想像もつかない。母親がどんな気持ちでこの言葉をもらしたのか。それを考え続けることが、障害を抱えて生きる人々への寄り添いになるのではないかと感じる。

■赤ちゃんが餓死するのを待つしかなかった

 生まれたわが子を愛して育てるのが、親の役目だ。しかし中には、障害児の親になることを拒否する人々もいる。本書では、松永さんにとって「最悪の記憶」として残っている赤ちゃんが紹介されている。

 その赤ちゃんは先天性食道閉鎖症を抱えて生まれてきた。文字通り食道が途中で閉じており、ミルクが一滴も飲めない。すぐに手術する必要があった。ところがこの赤ちゃんは、もうひとつ「口唇口蓋裂」という障害も抱えていた。上唇が鼻まで裂けていて、さらに口腔と鼻腔を隔てる上あごも裂けており、口と鼻の穴がつながっている状態だった。口唇口蓋裂は、形成外科で何度か手術することで機能だけでなく、よりよい形態に修正できる。

 松永さんが口唇口蓋裂について両親に説明し、手術許諾書をもらおうとした。ところが両親は手術を拒否。「赤ちゃんの顔が受け入れられない」というのだ。松永さんは驚いて、手術の必要性と時間の猶予がないことを説明した。それでも両親の態度は変わらない。産科の先生を交えて説得を繰り返しても、両親は翻意することはなかった。児童相談所に通報して、説得や親権の制限などを行おうとしたが、どれも空振り。

 赤ちゃんの体には点滴が入れられていたので、最低限の水分は体内に入る。しかしミルクを一滴も飲んでいないので、日ごとに体は衰えていった。やがて両親は面会にすら来なくなり、赤ちゃんの泣き声が日に日に小さくなっていった。もうあとは、赤ちゃんが餓死するのを暗たんたる思いで待つしかなかった…。

 この赤ちゃんの記憶を、松永さんは「生涯忘れることはないでしょう」とつづっている。

■親の気持ちに向き合って支えていくことが大事

 読者はこの赤ちゃんの物語をどのように受け取っただろう。憤りを覚えないわけがない。しかし現実は、健常から外れた命を認めず、否定して、葬り去ってしまう大人がいる。たぶん今もどこかで起きている。彼らを一方的に責められるだろうか。少なくとも私は答えに窮する。

 もしわが子が障害児として生まれてきたとき、私たちはどんなことを思うだろう。可愛いと思うだろうか。自分の子どもだと誇りに思えるだろうか。これからの子育てに、一切の不安なく希望を持てるだろうか。

 たぶん難しいのではないか。生まれる前に描いた理想の家族が崩れ去って、しばらくは現実を受け入れられない。それが普通だと思う。

 しかし本書はそのことだけを言いたいのではない。障害児を育てる困難は、そのうち親を絶望へ追い込む。それでも子どもは小さな命を燃やし続ける。はじめは子どもに対する否定的な思いであふれた親も、時間が経てば変わることもあるはずだ。

 ある両親は、腸が飛び出して生まれた、6本指の赤ちゃんを一目見て「これはひどい……」と口にした。命をつなぐ人工呼吸器を「はずしてください」と言い切った。その両親も障害児を受け入れることができなかった。

 手術後6日目にして呼吸器が外されると、赤ちゃんは鳴き声をあげるようになった。ベッドの上で手足をバタバタさせるわが子を見て、来院した母親は頬を紅潮させた。自らの手で赤ちゃんを抱っこすると、涙が一滴、赤ちゃんの頬に落ちた。子どもを受け入れた瞬間だった。その後、父親を含むすべての家族が赤ちゃんを受け入れていった。

 先述の「気管切開の穴を指で塞いだら、この子は楽になるのかしら」と発言した母親も、その後、男の子の障害を受け入れている。男の子は現在、30歳を過ぎて大人になり、日中は母親に付き添われて軽作業所に通っているそうだ。松永さんのもとには、家族写真をプリントした年賀状が毎年届くそうだ。松永さんは本書でこのように述べている。

母親は、本当にお子さんを愛していた。愛していたから、思い詰めてしまったのでしょう。気管切開の穴を指で塞ぐことまで考えたのを、非難することは簡単です。でも、そうした親の気持ちに向き合い、支えていくことが大事なのではないでしょうか。

 どんな障害を抱えようとも、子どもは生きようとしている。その姿をみて、いつしか親の心に何かが芽生えて、子どもと一緒に生きようと思えてくるのではないか。いのちの輝きが、いつの間にか親の気持ちに力を与えるのだと思う。

■人工妊娠中絶は許されるのか

 松永さんは本書を通して読者に伝えたいことが3つある。ひとつは、障害を持って生まれてきた子を家族や社会がどう受け入れるか。本稿ではこの主張の一部をご紹介した。

 もうひとつは、重い障害や病気のある子に対して治療をやめてもいいのか。生まれてきた障害児の中には、あまりの障害の重さに医師でさえ治療をためらうことがあるという。そのときに医師が背負う苦悩とは、いったいどんなものなのか。

 そして最後のひとつは、病気や障害のある胎児を人工妊娠中絶することは許されるのか。目覚ましい医学の発展によって、生まれる前の子どもの障害の有無の可能性を知ることができるようになった。しかしそれは、誰のためにあるのか。親か。子どもか。それは倫理的に許されるのか。母親の権利として認められるのか。松永さんは本書で訴えている。

 命とはなんだろうか。本書でつむがれる親子の物語を読んで、どうにも考えさせられる。もちろん答えは出ない。というより出せない。しかしひとつだけ言えることがある。

 生まれた直後の子どもは、小さい命を輝かせて懸命に生きようとする。どれだけ健常な子どもと違いがあっても、それだけは絶対に変わらない。命はどこまでも尊いものだ。

 本書に登場する親たちの選択が、苦悩や葛藤が、果たして正しかったのか。それは分からない。決められない。だから私たちはずっと考え続けていくべきだろう。命に対する答えは存在しないが、それを考え続けることがひとつの答えだと思う。

文=いのうえゆきひろ