“女らしさ・男らしさ”の呪縛や女性嫌悪、差別や偏見…私たちを取りまくさまざまな困難に立ち向かうために

文芸・カルチャー

2020/2/5

『その境界を越えてゆけ』(KADOKAWA)

「その境界を越えてゆけ」。なんと美しく、力強い言葉だろうか。

 KADOKAWAから配信されている電子書籍雑誌『カドブンノベル』の特集号を書籍化した『その境界を越えてゆけ』(KADOKAWA)は、桐野夏生×小池真理子、辻村深月×大槻ケンヂの対談を冒頭に掲げ、彩瀬まる、古内一絵、寺地はるな、宮内悠介ら7名の読みきり小説が収録されているほか、王谷晶や河野裕ら6名の作家がカドブンノベルで開始する長編連載の第1回など、「境界」をテーマにした作品が多数収録されている。

 ひとくちに「境界」といっても、切り取る風景やそのとらえかたは作家によってさまざまで、読み進めていくうち、世界を規定するものの曖昧さが浮き彫りになっていく。

 彩瀬まるさんの「わたれない」は、勤めていた事務所が閉鎖されたのをきっかけに、家事と子育てをするようになった暁彦が主人公だ。妻の咲喜は育休中に専業主婦には向かないと悟っていたから、家計を支える働き方に異論はなかったし、手先が器用な暁彦は、ハンドメイドの人形服づくりでパートと同じくらいには稼げるようになる。だが、子どもをあやす方法も役所からのお知らせも、だいたい母親にあてて書かれている。「子どもは母親が育てるもの」と思いこむ世間の無邪気な偏見が、暁彦を静かに追い詰める。夫婦が納得した形で家庭を営めばそれでいいはずなのに、暁彦は「おっぱいのない自分」が不甲斐なくなるし、咲喜は「女なのに家のことをやれていない自分」に罪悪感を覚える。そんな2人に共感する、ということは、読み手の自分のなかにもやはり偏見が植えつけられているということで、はっとさせられながら、それでも自分なりの幸せを模索していく暁彦たちの姿に救われもする。

 似鳥鶏さんの「日本最後の小説」は、まさに秩序を優先するあまり、個人の幸せを見失いかけている「今」の日本を象徴する小説だった。少しでも非をおかした人間や、自分たちと異なる意見をもつ人間を、見つければ数の正義で叩きのめしていく。主人公の小説家は、現実に起きた政治問題などをちりばめながらエンターテインメントを描くことでその流れに抗おうとするけれど、炎上へのおそれが忖度をうみ、多数に流されていくうち法が規制されて、言葉がどんどん奪われていく。これをフィクションだと笑うことは誰にもできない。けれど一方で、小説ならではのユーモアに溢れ、ところどころくすりとさせられてしまうのが本作の凄味である。

 職場から逃亡するため、眺めるだけだった隣のビルに真昼間から侵入してしまう津村記久子さんの「隣のビル」、“女らしさ”への呪いをかけられた少女が苦しみの果てに脱却していく近藤史恵さんの「あの日の電話」など、読みきり小説だけでも読み応え十分であるが、個人的には今以上に男尊女卑の強い時代を生きた桐野夏生×小池真理子対談と、今なお根強くのこるミソジニーについて国境を越えて語り合った『私たちにはことばが必要だ』の著者をめぐるクロストークを読みくらべていただきたいと思う。

 小説が、境界を越える力になるかどうかは、読み手である私たちがこのすばらしい言葉の数々を受けて何を考えるかによるのだと、深く考えさせられる1冊である。

文=立花もも