X JAPANと椎名林檎の類似点とは? 日本のサブカルチャーの系譜

文芸・カルチャー

2020/2/8

『ポスト・サブカル焼け跡派』(TVOD/百万年書房)

『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)は、84年生まれの男性ふたりによる批評ユニット・TVOD初の著作。沢田研二、ビートたけし、電気グルーヴ、バンプ・オブ・チキン、星野源、秋元康など、70年代以降のサブ/ポップ・カルチャーを担ったアイコンたちを俎上に載せ、彼らを取り巻くメディア/社会環境を参照しつつ、独自の通史を編み上げている。

 70年代以降、メインに対するカウンターとしてのサブカルチャーは徐々に退潮し、政治や世間から切り離された遊び場と化してゆく、というのが本書の見立て。それは、歴史や文脈から切断された記号の戯れにうずくまっていたい、という幼児的な態度とも言える。

 例えば、“渋谷系”もそうした現象のひとつ。このムーヴメントの起点として本書で措定されているフリッパーズ・ギターは、既存の音楽や映画や小説を自在に引用/編集/コラージュし、セルフ・アイデンティティの核とした。彼らはマニアックな洋楽リスナーで、歴史や文脈から遊離した“おいしい”フレーズやリズムを自らの楽曲に“ネタ”として採り入れていった。

 ヴィジュアル系の成り立ちが渋谷系と通底している、という論もユニークだ。80年代の後半にメタル/ハードコア/ゴスの交配が、日本のヤンキー的な感覚の下に行われたのがヴィジュアル系であり、その人脈的な中心点にX JAPANがいた、と言うのだ。つまり、複数のシーンの要素をサンプリングして混ぜ合わせる手つきは、音楽の断片をネタとして記号化してゆく渋谷系と同様である、と。

 さらに、同様のことを巧みに(しかし無自覚に)やっているのが椎名林檎だ、という主張もなされている。デビュー当時からの彼女の文語体使用、日章旗風デザインや和風ヴィジュアル、オリンピック関連の発言などは、右翼的イデオロギーの表出と受け取られることも多かった。だが、その本質にあるのはサンプリング的な軽薄さだと著者は喝破する。

 実際、椎名林檎の“日本的なるもの”への言及は驚くほど抽象的かつナイーヴであり、70~80年代にはかろうじてあった“屈託”が椎名林檎からはまるで感じられない。評者は以前、彼女の和を意識した表現を“コスプレ感覚”と書いたことあるが、この屈託のなさが極まった状況を、著者は“焼け跡”と表現している。

 最後に管見を。はじめて日本語とロックの融合に成功したとされるはっぴいえんどから、リアルタイムでの洋楽の輸入が後押しした渋谷系に至るまで、彼らは皆、日本の“内部”に留まりつつ、常に“外部”の音楽を取り込んできた。

 遡れば、戦後のリズム歌謡がサンバやマンボのビートを次々に導入したのもまた、同様の事例と言えるだろう。それが、椎名林檎になってくると、日本の“内部”から滋養を吸収するようになってくる。これは、この10年程で顕在化してきた“ガラパゴス化”の象徴とも言えるかもしれない。

 フリッパーズ・ギターの頃は欧米の文化が参照点だったのも、椎名林檎においてはドメスティックに閉じられている。こうした現状には若干の危惧を覚えるのだが、さて。

文=土佐有明