「なんだこれ!」と思わず声が出る 世界中の“アリス・マニア”の叡智を結集した大著『詳注アリス 完全決定版』!

文芸・カルチャー

更新日:2020/2/20

『詳注アリス 完全決定版』(マーティン・ガードナー、ルイス・キャロル:著、高山宏:訳/亜紀書房)

 書店へ行くと、ときどき「うわ、なんだこれ!」と思わず声が出そうになる、異様な佇まいの本に出会うことがある(もちろん「いい意味で」です)。近づいて手に取り、中を確かめる。「好きすぎてやってしまったか……しょうがないよね、愛ゆえだもの」とほくそ笑み、購入して読み始めると、自分もその仲間に加わったような気分になる――今回もそんな本を見つけてさっそく読み始めたのだが、逐一といっていいほど詳細な註釈や図版が膨大に載っていて、そのたびに読む速度が遅く……いや、もうほぼ停止状態になってしまい、まったくページが進まない、しかも前へ行ったり戻ったりすることも多々という、なんとも至福な時間を過ごしてしまい、レビューを書きたいと手を挙げたにもかかわらず、すっかり原稿の仕上がりが遅くなってしまいました……(言い訳です、すみません)

 ……ということで、ご紹介したい「なんだこれ!」本は、ルイス・キャロルの名作『不思議の国のアリス』(原題は“Alice’s Adventures in Wonderland” 1865年刊行)と『鏡の国のアリス』(原題は“Through the Looking-Glass, and What Alice Found There” 1871年刊行)の二作を収録した、厚さ約4.2センチ、重さ約960グラム(カバー含む)、総ページ数600超、お値段4800円(税抜)という畢生の大著『詳注アリス 完全決定版』(亜紀書房)なのです。

「そんな分厚い本、読み通す自信がない」「税込み5000円超えとか高すぎる」……そう思われる方もいるかもしれませんが、ちょっと話を聞いていただきたい。

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 著者はアメリカの数学者・著述家のマーティン・ガードナー。ガードナーは数学にまつわるパズルやコラムなどを雑誌に連載する一方(アマチュアの手品師でもあったそうだ)、「アリス」の謎や元ネタ、仕掛けに関する記述が満載の著作を何冊も出している、ルイス・キャロルとその作品について研究する世界有数の専門家だ。しかもその本を読んだ世界中のアリス・マニアから寄せられた意見やクレームや指摘や粘着(まであったかどうかわかりませんが)を取り込み、裏取りのため文献等を調べまくって、地道にしこしこと改訂を続けていたというなんとも粘り強い人物なのだ。そして「完全決定版」と銘打っていることからもわかるように、本書はガードナーが生前最後(2010年に亡くなっている)に著した「アリスの集大成」なのだ。これが畢生の大著たる所以である。

 そして訳者はこれまでに『不思議の国のアリス』を4回、『鏡の国のアリス』を5回訳した高山宏だ。高山は以前に訳したものを流用せず、毎回その都度初めから訳し直しているそうで、ガードナーのアリスに関する著作も何度も訳している。さらには自らも『アリス狩り』というキャロルとアリスについての研究本を出版している、こちらも筋金入りのアリス・マニアだ。

 つまり、ルイス・キャロルが書いた小説『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の二作(しかも最新の邦訳)が載っていて、50年以上キャロルとアリスについて研究し続けたアリス・マニアが世界中から集めた資料や意見をもとに詳細な註釈を書き、すべての文章を何度もアリスの邦訳に関わったアリス・マニアが読みやすい日本語へと訳している本なのだ! これが面白くないわけがない! もう「『アリス』はこの一冊を読めばいい」と断言してもいいくらいのアルティメットな一冊で、しかも「大は小を兼ねる」ものだし、「これってどういう意味なんだろう?」と思ったところを自分であれこれ考えたり調べたりする手間暇を考えたら、5000円なんて安いもんなんですよ!

 ……すみません、興奮しすぎて内容の詳細をほとんど伝えられないまま、字数が足りなくなりそうです……と担当編集に伝えたところ「多少長くてもいい」と言われたので、もう少しだけお付き合いください。

 本書は冒頭、序文などが約40ページあり、それが終わると『不思議の国のアリス』の本編に入るのだが、アリスがうさぎを追いかけて穴に落ちるのは64ページ(新潮社文庫版では14ページ目で落下)だ。いかに本編以外の記述内容が濃いのかがおわかりいただけると思う。また特に難解で、読んでも全然意味がわからないことで有名な『鏡の国のアリス』に出てくる詩「ジャバウォッキー」は、詩の解説がなんと18ページも続いている。また詩の原文の英語、そこから訳されたフランス語、ドイツ語、そしてもちろん日本語もあるので、不思議な言葉遊びがどのように訳されているのかを比べるのも楽しいだろう。そして有名なジョン・テニエルによる挿絵だけでなく、様々な年代に活躍した多くのイラストレーターによる図版も収録されているので、様々な解釈も楽しめる。また長い間その存在は知られていたものの、行方がわからなかった『鏡の国のアリス』でカットされた「かつらをかぶった雀蜂」のエピソードも収録されている。

 ……と駆け足で内容をお伝えしましたが(ぜひ書店で実際に手にして、その圧倒的存在感に打ちひしがれてください!)、この本は決してマニアだけのものではない、ということも強調しておきたい。「アリス」を初めて読む人は、本書の物語と挿絵だけを追えばいいだけのことだ(もちろんそれだけでも十分に楽しい)し、特にディズニーのアニメーション『ふしぎの国のアリス』(原題は“Alice In Wonderland”で『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の内容で再構成されている)しか見たことがない方は、ぜひ原作の芳醇な世界を味わっていただきたい。

 しかし「アリス」は恐ろしいことに、読めば読むほど、穴に落ちたり、鏡を通り抜けたりしてしまった主人公のように、物語の中へと没入してしまうものだ。

「もう何マイル落ちたのかしら?」(アリスのセリフより)

 不思議なアリスの世界へ、ようこそ……

文=成田全(ナリタタモツ)