ネットでもたびたび見られる「自己責任論」。その言葉の本質に、気鋭の政治学者が切り込む

社会

公開日:2020/2/22

『自己責任の時代 その先に構築する、支えあう福祉国家』(ヤシャ・モンク:著、那須耕介、栗村亜寿香:訳/みすず書房)

「自己責任」という言葉を、私たちは実はよくわからないままに使ってしまう。

 ホームレスになった人がいたとする。

 彼は努力の限りを尽くして自らの会社を営み、長く成功を収めていた。しかし大手企業が市場を席巻し、彼の会社は窮地に立たされる。そんな折に親が要介護の状態となり、実家を行き来しながら介護することになる。仕事や介護に追われた末に、妻や子どもと過ごす時間がほとんどなくなり、関係は悪化。妻子は家を出て行ってしまう。そして台風の被害に遭って仕事のことを考える余裕もないままに、彼は精神を病む。福祉の手を借りようにも、症状のせいで難しい申請に取りかかることができずにいるうちに、マイホームを差し押さえられ、路頭に迷う――。

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 これは、決して珍しい話ではないのではないだろうか? そしてこれを、彼の「自己責任」だと片付けてしまっていいのだろうか?

『自己責任の時代 その先に構築する、支えあう福祉国家』(ヤシャ・モンク:著、那須耕介、栗村亜寿香:訳/みすず書房)では、気鋭の政治学者ヤシャ・モンクが“「自己責任 personal responsibility」は奇妙な言葉だ”と切り出す。

 アメリカをはじめ、社会は人々に「自己責任」を求めてきた。しかしこの言葉は曖昧で、政治的にも学術的にも合意が取れている概念でないことを本書は示し、批判する。

 そして、本書の画期的な特徴はそうした「自己責任論」への批判だけでなく、全てを社会の責任として「自己責任」を否定する「責任否定論」をも批判していることだ。全てを社会のせいにしてしまえば、“あっという間に個人の主体性の余地を根こそぎ否定するところにまで発展してしまう”とモンクは懸念を示す。

 例えば、アメリカの福祉制度では「食料品配給券」が提供されることがある。この券でワインを買うことはできないが、ケーキを買うことはできる。福祉が食を保障することは重要だ。一方で、「誕生日をケーキよりもワインで祝いたい」と考える人の「主体性」は、福祉制度によって除外される。これをどう考えるか。モンクは問う。

 もしかすると、「十分な稼ぎのある仕事に携わる」か「裕福な家に生まれる」以外に、ワインを年に1回飲める主体性を取り戻す方法はあるのかもしれない。主体性があり、自分の選択が世界に変化をもたらすと感じられることは、人にとって重要なことだ。モンクが説く「肯定的な責任像」は、必読である。

 奇妙な言葉、「自己責任」について、立ち止まって考えてみよう。

文=えんどーこーた