ベンチャー企業に「家政婦」⁉ おいしいごはんに心が癒される…だけじゃない! 登場人物の葛藤と秘密が重なり合って思いもよらぬ結末が……

文芸・カルチャー

公開日:2020/2/24

『まずはこれ食べて』(原田ひ香/双葉社)

 主人公なのになんて性格の悪い女なんだ……と最初は思った。『まずはこれ食べて』(原田ひ香/双葉社)の胡雪である。学生時代の仲間と立ち上げた医療系ITのベンチャー企業の紅一点。社長が殺伐とした社内の雰囲気を変えようと仕事場に入ることになった家政婦さんの仕事ぶりに胡雪は「プロのくせにこんなこともできないのか」とにやりとしてみたり、食事の説明をされただけで「私が女だからか!」と怒りだしたりする。

 女というだけで家事の手伝いを押しつけられないようにする、というのはわかるけれど、ちょっと過敏にも程があるのではないか。と思いながら読み進め、ふと気づく。矛盾した怒りをもてあましている人の多くは、深く傷ついている人だ。痛みを知っている人ほど優しくて強い、とはいうけれど、怒りの渦の最中にいるときは、誰だって自分にすら優しくできない。

 胡雪は、才能のある仲間にくらべて会社に貢献できない自分を恥じている。女としての自尊心も低い。自分にだけ何もない、でも立ち止まっているわけにもいかないというしんどさを、虚勢をはってやりすごしているだけだ。そういう気持ちは痛いほどよくわかるはずなのに、胡雪を上から目線でジャッジした自分を恥じた。

advertisement

 そんな胡雪に、家政婦の筧さんは特別なデザートをつくってくれる。ごくふつうのリンゴを切ってフライパンに並べ、砂糖も水も入れずに焼いたものをコンビニアイスの上に載せる。そのあたたかさと甘みが胡雪のさびしさを溶かしていく。

 第2話以降は、フィリピンに住む叔母に仕送りをつづけるアルバイトのマイカ、要領がよくコミュ力も高く人生楽勝な営業の伊丹など、社員一人ひとりにスポットをあてて物語は進んでいく。それぞれ事情を抱え、人知れず心を張り詰めている彼らが、筧さんの料理によって救われていくほっこりストーリー……と誰もが思うだろう。だがその期待がいい意味で裏切られるのが本作のいちばんの読みどころだ。

 ときどき名前のあがる、もう一人のメンバー・柿枝。会社の創業者ともいえる彼は、ある日突然失踪し、マイカを除く全員の心に影を落としていた。その謎が少しずつ明かされていくと同時に、みんなを癒す筧さんにもまた、誰にも明かすことのできない秘密があることがわかってくる。

 完璧に“いい人”なんてどこにもいない。みんな何かしら秘密があるし、それぞれに傲慢で、どんなに仲の良い相手にだって嫉妬や敵意に似た感情をもつ。それでも、そんな自分を受け止めながら、人は生きていくしかない。そしてどんな状況だって、お腹はすく。だから「まずはこれ食べて」なのだ。

 落ち込むのも、腹を立てるのも、ごはんを食べてからでいい。できれば、誰かと一緒に。具だくさんのおにぎり、豚汁、チーズ海苔入り辛ラーメンに、ほうれん草のスープ。筧さんや胡雪たちを思い浮かべながら、自分でもつくってみてもいい。そうすればきっと、明日への一歩を踏み出す元気がわいてくるはずだ。

文=立花もも