今日のあなたと昨日のあなたは、同一人物か。「生命」とは何かを考えると人生観が激変する!

スポーツ・科学

公開日:2020/3/1

『最後の講義 完全版 福岡伸一』
(福岡伸一/主婦の友社)

 宇宙における超シンプルな決まりごと「エントロピー増大の法則」をご存じだろうか。「秩序のあるものは、秩序のない方向にしか動かない」という法則だ。

 エントロピーは「乱雑さ」を意味する。たとえば机の上をきれいに整理整頓しても、1週間も経てばモノでいっぱいになって、見るも無残な状態に元通り。よくある生活の“あるある”だ。「普通に暮らしているだけなのに、どうして…?」と頭を抱えたくなるが、これは宇宙の大原則に従って「エントロピーが(乱雑さが)増大した」にすぎない。むしろ当たり前の状況なのだ。

「エントロピー増大の法則」は、この世のすべてに影響する。温かいコーヒーが冷めてしまうことも、頑丈に建築したマンションが傾いて崩壊してしまうことも、ヒトをはじめとするすべての生物が寿命を迎えて死ぬことも、この大原則の通りに動いている。永遠に秩序を保ち続けることは、宇宙ではあり得ない。

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『最後の講義 完全版 福岡伸一』(福岡伸一/主婦の友社)が読者に伝えようとしていることは、私たちの普段の暮らしに関係ないようで、人生観を変えるヒントがつまっているように思う。著者は、生物学者の福岡伸一さん。

 本書は、NHK「最後の講義」という番組の内容を書籍化したものだ。知的最前線に立つスペシャリストたちが「もし今日が人生最後の日だとしたら、何を語るのか」という問いのもと、学生たちに珠玉の講義を行う。福岡さんは、番組や本書に、どんなメッセージをこめたのか。

生命の本質とは?

 この世で最も神秘的で、謎に満ちていて、美しく尊い「生命」。その存在は21世紀の科学力をもってしても解明できない。しかし部分的なことは分かってきた。多くの生物は、ひとつの生命のようで、生きた細胞の集まりだ。無数の細胞が寄り集まって、それぞれの機能を果たし合うことで、私たちが今も息づいている。

 ひとつのことが分かれば、もっと深く掘り下げようとするのが科学の役目だ。世界中の科学者が生命の研究を進めた結果、体のあらゆる機能を解明し、生命の設計図である遺伝子の役割を突き止め、それを応用して病気を治したり、生活を便利にしたり、さまざまな発見と発明を行った。とても素晴らしいことだ。

 ところが福岡さんはこれを「機械的な生命観」と表現し、もっと生命の本質的な部分にも目を向けるべきだと訴える。今から約80年前に活躍した科学者ルドルフ・シェーンハイマーは、生命をこう表現した。

「生命は機械ではない。生命は流れだ」

ヒトは1年ごとに別人に生まれ変わる

 少々おかしな問いだが、今日のあなたと、昨日のあなたは、同一人物だろうか? おそらくほぼすべての人が「Yes」と言うだろう。けれども生物学的にみれば、微妙に違う。

 細胞が寄り集まることで私たちは生きている。その細胞は、入れ替えの早い場所で2日か3日、遅い場所で数カ月かけて、分解されて捨てられる。そして代わりに新しい細胞が配備される。

 私たちは生まれたときから同一人物だけれど、1年ごとにまったく別人レベルで中身が入れ替わっているのだ。この話を聞くと、過去の悩みでくよくよする自分が少々バカらしくなる。

 それにしても、なぜ私たちの体は細胞のとっかえひっかえを行っているのか。福岡さんによると、生物が生きるためには体を守ることではなく、壊すことのほうが大事なのだそうだ。

生命は変わらないために変わり続けている

 ここで冒頭の「エントロピー増大の法則」を思い出してほしい。この宇宙の大原則は、小さな細胞にも影響する。常に酸化して細胞が壊れそうになったり、老廃物がどんどんたまったり、タンパク質が変性しそうになったり、常に命を脅かされている状況だ。

 だから生物は、自分自身を“ゆるゆるやわやわ”に作っておき、それを常に分解して、捨てて、作り替えるという作戦をとった。エントロピー増大の法則が襲ってくるよりも先回りして、自分自身を積極的に壊し、作り替える作業を延々と行うことで、生命を存続させているのだ。

 ヒトをはじめとする生物の生命には、「食べ物を食べて、分解して、吸収して、体を形づくるものにかえて、必要のないものは捨てて、また食べ物を食べる」流れが存在する。絶妙なバランスを取りながら生きているわけだ。これを福岡さんは「動的平衡の生命観」と表現する。

絶え間ない流れの中で合成と分解を繰り返しているさまは、「変わらないために変わり続けている」と言い表すこともできます。

 福岡さんのこの言葉に、人生観を変えるヒントがあるように私は感じる。

何かが完全に壊れる前に必要なところを変えて生きる

 生命は、壊れる前に自分で壊して作り替えながら生きている。それは社会を生きる私たちも同じではないか。仕事で失敗したときは、次から方法を変えてみる。パートナーや友人との関係がうまくいかないときは、話し合ってバランスを取り合う。何かが完全に壊れる前に、必要なところを変えながら生きているのだ。

 人間はお互いに寄り集まって社会を形成し、それぞれの機能を果たし合うことで、みんなでバランスを取り合いながら生きている。「変わらないために変わり続けている」という言葉は、そのまま私たちの生き方にも当てはめられるはずだ。

 本書は、生物学に関する最後の講義をまとめたものだ。だから私たちには関係のないことに見えてしまう。けれども実は、人生観を変えるヒントがいっぱいつまっているようにも思う。

文=いのうえゆきひろ