孤独を楽しめるのは、強い人。気ままな「おひとり様」を楽しもう!

文芸・カルチャー

更新日:2020/2/28

『孤独も板につきまして 気ままで上々、「ソロ」な日々』(あたそ/大和出版)

 世の中には「根暗(ねくら)」「根明(ねあか)」という二項対立があるらしい。周囲の人間のことを、根暗だとか根明だとか、陰キャだとか陽キャだとか、そんなお節介なカテゴライズをするのに勤しむ人があなたの周りにもひとりくらいいるかもしれない。

 筆者はどう見積もっても根暗の分類に入るような人間で、信頼できる友人こそいるけれど、ワイワイガヤガヤするのは得意ではない。当然、周りと比べひとりの時間が多く、ひとりで旅に出るときも、わざわざ「今回はひとり旅だ」と意識するまでもなく、普通の旅としてひとりで自由気ままに行動している。

「おひとり様」に慣れている人は、時たま周囲からのこんな意見に驚くことはないだろうか。

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「ひとりで寂しくないの?」「暇じゃないの?」。

 自分にとっては当たり前の「ソロ」が、他人からは「寂しいもの」と捉えられていると知ったとき、何とも言えない不思議な気持ちになってしまう。

 Twitterで多くのフォロワーを持つ、あたそさんの新刊『孤独も板につきまして 気ままで上々、「ソロ」な日々』(あたそ/大和出版)は、そんな「おひとり様」にとっては大変共感できる一冊だ。タイトルの通り、孤独が板についたあたそさん。そんな彼女が「孤独」について考えていること、「社会」との隔たりや「女性」の生きづらさを感じる瞬間などが綴られている。

私は孤独が好きだ

色々な要因が、いい意味で私をひとりにしてきた。自分の中に何か変化があったわけではないけれど、なんだか少し強くなれたように思う。(39ページ)

 ひとりで居続けると、様々な選択肢の中から自分に最適なものを選び取らなければならない瞬間が何度も訪れる、と著者は語る。確かに、ひとりでいる時間の意思決定はすべて自分自身によるものだ。それはとても自由なことであり、また、時には難しいことであるようだ。

 自分自身で何でも決定する、と聞くと、疲れてしまいそうに感じる方もいるかもしれない。しかし著者は、自分の好みと、勘と、運命だけによって選択し続けることにより、自分自身を人間的に強くし、さらには誰にも邪魔されない快適さを享受している。本書を読むと、彼女が身を置く「孤独」とは、とても上質な空間であるように思える。

「女子力」という言葉が嫌いだ

 令和になった今でも、「女子力」という言葉が街中に溢れかえっている。料理ができる、メイクをきちんとしている、性格がおしとやか、など、古くからある「男によく思われる女性像」がその言葉には込められているようだ。この言葉がどうも嫌いである、と著者は語る。

「女子力」という言葉が嫌いではあるが、メイクもファッションも好きだという著者。彼女にとってのメイクやファッションは、男性をはじめ周囲にどう思われようが関係のないものなのだ。少しでも自信を身に着け、自分を守っていけるように、好きなものを自分の意志により纏っているのだという。

 筆者はこのような部分に、彼女の「孤独」の強さを感じ、素敵な在り方だと思う。彼女が何かをするのは、自分を幸せにするため、そして在りたい自分でいるためなのだ。「孤独」という言葉には寂しい響きがあるかもしれないが、強い人ほどひとりで自分自身を大切にすることができるのだ。そんなことを本書は教えてくれる。

 孤独を楽しめる強さを持つ人には、自然と人がついてくるというのも本書で得られる教訓だ。もちろん馴れ合いだけを求めるような人は、彼女のもとから去っていくだろう。ただ、本当に理解し合える人は残るものなのだ。自分を大切にして生きる人は、他者のことも大切にできるし、真に魅力的に映るものだ。

文=K(稲)