Twitterで話題沸騰の、一生分泣けるねこマンガ。『手から毒がでるねこのはなし』が描く、孤独な人の優しさと強さ

マンガ

公開日:2020/3/3

『手から毒のでるねこのはなし』(原田ちあき/エムオン・エンタテインメント)

〈誰かを失ってしまってもお腹は減るし、悲しい気分でもお笑い番組を見てふふふと笑ってしまう事もある。生き続けるっていうことは、図太く開き直って強くなっていくことなのかもしれない〉。マンガ『手から毒のでるねこのはなし』(エムオン・エンタテインメント)のあらすじにある、著者・原田ちあきさんの言葉だ。Twitterで“一生分泣けるねこマンガ”として話題となった本作、主人公ねこの“もうどく”は、タイトルどおり、手から毒がでるせいで誰とも手をつなげず、毛色もほかのねことちがうから、いつも全身をすっぽり布で覆い隠している。それでも、日常にきらきらしたものを見つけて、幸せを拾いあつめながら生きている。

 人は“わからない”ものをおそれ、忌避する。過剰に攻撃したり、嘲笑ったり。ちょっと下に立つものとして扱うことで、安心したくなってしまう。いたずら大好きな悪ねこ三兄弟も同じで、自分たちの投げつけた石でもうどくが血を滲ませているのを見ても「泣かないから大丈夫」「泣かないってことは痛くないんでしょ」と軽く流す。でも、もうどくが泣かないのは、人に不快な思いをさせないため。だから何も言わず、ひとりでいることを選んでいる。

 俯瞰して見たら“かわいそう”かもしれないけれど、だからといって四六時中、不幸なわけじゃない。ときどき、もうどくは自分と同じように、ひとりで何かに耐えている人と出会うこともある。たとえば、縁側でいつもお茶を飲んでいるおばあちゃん。夢も希望もなく「こんな大人になりたくなかった」と憂鬱な気分で働き続けるお兄さん。もうどくと偶然出会い、なんとなくともに過ごしたその瞬間は、彼らにとっても救いとなる。なぜなら、もうどくは彼らに過剰な期待を寄せないし、強制することもないからだ。

advertisement

 同じさみしさを抱く者同士だから共有できる瞬間の幸せをかみしめて、大事に大事にとっておくことのできるもうどくは、視点を変えて見ればとても幸せだ。だけど、悪ねこ三兄弟のように、みんなで一緒にいることがあたりまえの人にとっては、ひとりでも幸せ、というのが信じられないのだろう。自分には耐えられないことを平気そうにしている姿が、こわいのかもしれない。だから兄弟のひとり・ぎがは、もうどくと仲良くしようとした。いや「仲良くしてあげよう」と思った。けれどもうどくは感謝するどころか、怯えて逃げ出すばかり。こんなに相手を大事に想ってあげているのに、同じだけのものを返してくれないもうどくを、憎んでしまうようになる。

 けれど、「やわらかい手でなでているつもりでもするどいガラスで切りつけていることもある」と指摘されたとき、ぎがはもう一度、もうどくに近づいてみようと決める。今度は押しつけの善意ではなく、本当に彼が必要としているのは何かを考えたうえで。ふたりは、“友達”にはなれないかもしれない。もうどくはずっと、ひとりぼっちかもしれない。けれどこの先、わずかな瞬間を共有することはあるだろうし、その幸せがもうどくもぎがも生かしていく。そんな光が見えるマンガだった。

文=立花もも