どれほどの悲劇を重ねれば、その“時”にたどりつけるのか――人と鬼の織りなす170年の大河を描く「鬼人幻燈抄」シリーズ第3弾

文芸・カルチャー

更新日:2020/3/9

『鬼人幻燈抄 江戸編 残雪酔夢』(中西モトオ/双葉社)

 読み終えたあと表紙のイラストを見かえして、まさかそんな意味があったとはと、思わず嘆息が漏れた。『鬼人幻燈抄 江戸編 残雪酔夢』(中西モトオ/双葉社)である。著者はどれだけ主人公に試練を与えるのかと、生きる道の過酷さを誰かと語り合いたくてたまらないが、ひとりでも多くの同志を増やすべく、まずはネタバレなしで作品を紹介してみたい。

 時は江戸時代。主人公は、ある出来事をきっかけに鬼になってしまった浪人の甚夜(じんや)。その身は、千年以上の時を生きる鬼と化しているものの、心は人のまま。170年後、全人類を滅ぼす災厄となる鬼神と対決するさだめを負っている彼は、きたるべき日のために、鬼退治の依頼を請け負いながら力を磨いている。

 甚夜は、家族にめぐまれない青年だ。もともと住んでいた葛野では、愛する人を失い、唯一の身内だった妹・鈴音との最悪の別れを経て、単身江戸にやってきた。そんな彼を最初に雇ったのが重蔵。商家の主で、甚夜の実父にあたる。この実父、母の命と引き換えに生まれてきた鈴音を虐待していた張本人で、父から逃れるために甚夜は彼女とふたり家を出たのだが、いまは虐待にはやむにやまれぬ事情があったことを理解している。けれど重蔵にはすでに奈津という養女がいるし、さまざまな事情から息子だとは名乗れない。重蔵も、甚夜が息子だと気づきながら、気づかないふりを続けている。近くにいるのに二度と“親子”になれない2人の気持ちのすれ違いが、やがてある事件を引き起こしてしまうのだが、これがもう、ほんとうに、つらい。誰も悪くなさすぎて、むしろ大切な人を想う気持ちが強すぎるあまり、さまざまなすれ違いが重なって悲劇が起きてしまう過程は、シリーズ第1弾の『葛野編 水泡の日々』にも通じる。

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 遠い昔抱いた綺麗だったはずの想いは、歳月を経て歪み、いつしか鬼を生む根源となりはてた。鬼は、どこにでもいる。どこからでも生まれる。そこに人の心がある限り。ままならないことばかりの現実で、傷つきながらもどうにか折り合いをつけてきた悲しみと傷が、人を鬼に変えるから。誰かへの憧憬が嫉妬に、諦めたはずの願いが未練に変わり、妄執にとりつかれたとき、人は人ではなくなってしまう。その姿は決して、私たちにとっても他人事ではない。だからこの物語は、読んでいる人の胸を打つのである。

 本作はシリーズ第3弾。前作『江戸編 幸福の庭』とは物語が繋がっているので、未読の方はまずそちらを読むことをおすすめするが、彼が鬼となり旅することになった経緯が描かれている第1弾は、どちらかというと前日譚にあたるので、最後に読むのも楽しいかもしれない。もともとファンだという読者の方は、きっとラストのやるせなさに胸がしめつけられるだろうし、ところどころ漂う鈴音の気配に期待を煽られもするだろう。やがて170年後――私たちの生きる現代が舞台になることを示唆する描写にも。だがまずは6月に発売予定の第4弾『幕末編 天邪鬼の理』を心して待ちたいと思う。

文=立花もも