“愚行、恥辱、過失”を赤裸々にさらけ出す! 島田雅彦の青春“私”小説『君が異端だった頃』

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/12

『君が異端だった頃』(島田雅彦/集英社)

 第71回読売文学賞(小説賞)を受賞した島田雅彦氏の新刊、『君が異端だった頃』(集英社)は、デビューから36年を経て現在は芥川賞の選考委員も務める著者の若かりし頃を大胆に描いた私小説だ。多摩丘陵の麓で過ごした好奇心旺盛な少年時代から、ワイルドな“カワサキ・ディープ・サウス”での煩悶、ロシア語漬けだった大学時代の自己変革、作家デビューを果たした後の文豪たちとの交流、秘められた女性関係まで、語り手である著者が、かつての自分に“君”という2人称で呼びかけるかたちで綴られる。

“そう遠くない未来、自分の記憶も取り出せなくなってしまうので、その前にすでに時効を迎えた若かった頃の愚行、恥辱、過失の数々を文書化しておくことにした。”

と作中で語られている通り、本作では“君”の人生の遍歴が赤裸々に告白されていく。少年時代の自意識の目覚めから青春の終焉にいたるまでのまさに“愚行、恥辱、過失の数々”の告白でありながら、その語り口は“君”との微妙な距離感のおかげで、どこか軽妙で突き放したところがあってユニークだ。そして、そんな本作のもっとも大きな魅力は、そうした語り口から見えてくる“君”=島田雅彦氏自身のキャラクターだろう。

 少年時代の孤独には「バカな奴らと付き合わずに済むからね」とうそぶき、『時計じかけのオレンジ』の主人公アレックスに感化された少年は、確信犯として奇人変人になるレッスンを重ねていく。女性にモテるマゾヒストを自覚し、小説家を目指すことを改めて決意した“空回りと空騒ぎに終始した恥ずべき高校時代”、大学ではロシア語の勉強に励みながらも“難攻不落の鉄の処女”と呼ばれる美女を口説き落とし、やがて『優しいサヨクのための嬉遊曲』で華々しくデビュー――と、こう描いてしまうと、なんだかいけ好かない男という印象を受けるかもしれない。大学在学中に小説の構想をしているときに“女に不自由しない自分の日常をありのままに書いたりしたら、嫌味にしかならず、モテない男の系譜たる近代文学から異端視されるので、ここはモテない男のふりをすべき”なんて正直に書いてしまうぐらいだ。しかし、そうした“君”の青春の物語を読んでいて感じるのは、むしろ「こんな男が身近にいたらなんだかおもしろそうだな」という好感だ。自意識過剰ながら顰蹙を買うことを恐れず、生意気だけれど自分の才覚を信じて貪欲に“世界”に飛び込んでいく姿には、青春ならではのユーモラスで清々しい鮮やかさがある。

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 そして当時の文壇に生きた、大江健三郎、安部公房、古井由吉、埴谷雄高、後藤明生といった文豪たちの豪快で生々しいエピソードの数々も読みどころのひとつ。なかでも“君”を庇護していたかと思えば「島田を殴る」と公言し、“これはオレ流の愛だ”という理不尽さを見せつける中上健次の怪物めいた存在感は、その別れの哀切も含めて強烈な印象を残す。著者の文豪たちへの敬意を感じさせる往年の文壇シーンのリアルな“証言”は、日本文学ファンなら興味がつきないだろう。

 そして、芥川賞6回落選という憂き目に遭った鬱屈の結果、逃げるように向かったニューヨーク遊学中に出会ったアメリカ人女性との不義の愛、その泥沼の顛末、無様な修羅場も隠さず描かれていく。“恥を上塗りする人生”を直視して、そこから逃げずにすべてをさらけ出すことに、私小説を書く意味を見出しているのだろう。そして、その物語は豪快で疾走感に溢れ、実にエネルギッシュだ。“時効”が訪れたら、ぜひ続きを書いてほしいと思わされた。

文=橋富政彦