妻の入浴を覗く父。「認知症かもしれない…」不安を抱える家族が知った衝撃の事実

文芸・カルチャー

2020/3/15

『終の盟約』(楡周平/集英社)

 自分の親がもし認知症になってしまったら…。そんな漠然とした不安を抱えながら生活しているという人は多いかもしれない。高齢化社会といわれながらも終わりの見えない介護生活は、肉体的にも精神的にも厳しく、親子という近しい間柄であるからこそ立ち入りたくない領域に踏み込まねばならない辛さは想像するだけでも苦しい。
 
 介護に対して不安や恐怖心を抱いているのは、介護される側も同じなのかもしれない。『終の盟約』(楡周平/集英社)は、長寿化が進む現代だからこそ心に突き刺さるミステリー小説だ。

人望厚かった父の不可解な行動に悩まされる

 ある晩、藤枝輝彦は妻・慶子の絶叫で跳ね起きた。二世帯住宅で同居している父親の久が、なんと慶子の入浴を覗いていたというのだ。
 
 輝彦は糖尿病治療を専門としている内科医。久もかつては医師という職に就いており、人望が厚く、頭脳明晰な人物だった。しかし、くも膜下出血で妻を亡くして以来、気落ちし、引きこもりに近い状態に。その様子を見た慶子から認知症ではないかと相談されていたが、輝彦は見て見ぬフリをしてきた。久の覗きは、そんな最中で起きた出来事。

 父の行動に驚いた輝彦は、自宅にある久のアトリエに入り、さらなる衝撃を受ける。そこは久が描いた裸体画や男女の性交画で埋め尽くされていた。しかも、女性のモデルとなっているのはどう見ても慶子だったのだ。
 
 事の重大さに気づいた輝彦は、久が以前自分に託していた「事前指示書」の存在を思い出す。そこには、もし自分が認知症になったら専門の病院に入院させることや延命治療の類は一切拒否するという要望が記されていた。輝彦は事前指示書に従い、久の旧友が経営する病院へ父を入院させることに。それと並行し、弁護士をしている弟の真也にも父の病気を伝え、事前指示書の存在を明かした。

 これから長い介護生活が始まる。そう考えていた予想に反し、久は入院して間もなく、心不全を起こしてあっさりと息を引き取ってしまう。あまりに突然すぎる死。だがその裏には、決して白日の下にさらすことのできない“ある盟約”が関係していた――。

長寿社会の裏にある「死ねない」という恐怖

 医療技術の進歩によって平均寿命は年々延びている。大切な人にはできる限り長生きをしてもらいたいと願う私たちにとって、それはとても喜ばしいことだ。しかし、長寿が可能になったからこそ、人はたとえ自分らしさを失ってしまっても命が尽きる時まで生き抜かねばならないという恐怖を抱いているのも事実だ。

 本作を読破した後、真っ先に筆者の頭に浮かんできたのは2年前に他界した祖母の顔。ある日、脳出血で倒れて失語症・認知症となった祖母は、日常会話がままならなくなり、家族の名前も忘れていった。だが、ふとした時にいきなりはっきりとした口調で「なんでこんなにおかしくなってしまったんやろう」「はやくあの世に行きたいわ」と漏らしていたことが忘れられない。
 
 その光景を思い出すたび、自分たちが良かれと思って行ってきたサポートは本人にとって本当に幸せなものだったのだろうかと、今でも考えさせられる。

 もし、病に侵された当人が口にはできずとも、「生き続けたくない」「一刻も早くこの状況から解放されたい」と願っていたとしたら…。一番身近にいる家族はいったい何をしてあげるべきなのだろう。また、自分がもしそういう立場になったとき、自分はどう終わりを迎えればいいのだろうか。

 長く生きてほしいけれど、終わりの見えない介護は怖い。認知症の家族に対する生々しい感情や自分もいつかそうなるのではないかという葛藤が丁寧に記されているこのミステリーは、命の終わりについて考えるときにぜひ手に取りたい作品。自分の命を、私たちは一体誰に託せばいいのだろうか?

文=古川諭香