50年間、野球界を支えてきた名伯楽の「ダメと言わないコーチング」

スポーツ・科学

公開日:2020/3/27

『二流が一流を育てる ダメと言わないコーチング』(内田順三/KADOKAWA)

 選手として13年、指導者となって37年にわたってプロ野球の世界に身を置き、50年間一度もユニフォームを脱ぐことなく、野球界を支えてきた名伯楽がいる。

 広島では正田耕三、金本知憲、緒方孝市、新井貴浩、鈴木誠也といった歴代のスターたちを育て、巨人では高橋由伸、阿部慎之助、岡本和真などを一流に導き、清原和博の復活劇にも尽力してきた、内田順三コーチという人物だ。

「超二流たれ」。名将、三原脩監督に訓示を受け、活躍してきた同氏。その「二流」であった経験は指導者になってからより大きな力となった、という。選手から指導者に転向後は、「ダメと言わない指導」「コーチはアイディアマンであれ」というポリシーのもと、多くの人材を育ててきた。内田コーチはプロ野球の世界についてこう話している。

advertisement

「プロ野球の世界に飛び込んだ選手は、まず、挫折からスタートする。周囲はみんな怪物にさえ思えてくる。プロの世界は、そのとんでもないレベルの選手の寄せ集め。しかも、上に競争を生き残った十数世代がいて、ときには、二十も年長の選手と競うことになる。十年にひとりの逸材や、百年にひとりの天才がいるときさえある。都道府県でトップレベルであっても、ここでは、それが最底辺」

 事実、その挫折感から一度も立ち直ることができずに、ユニフォームを脱ぐ選手も多いという。そんな厳しい世界において、内田コーチは「人材は宝」というポリシーのもと、独自のコーチング論で数々の名選手を育ててきた。

 内田順三氏の初著書『二流が一流を育てる ダメと言わないコーチング』(KADOKAWA)では、同氏のこれまでの経験談をもとに、人を「つくり」「育て」「生かす」術がまとめられている。同書の一部をここでご紹介しよう。

選手は宝


 現在、プロ野球の世界では支配下登録選手は各チーム70名。近年は育成契約の選手もいるので、それ以上の選手を抱えるチームも多い。ただ、この70名という枠をやりくりし、毎年、ドラフトで何名かの選手を指名し、何名かの選手を戦力外として、プロ野球の世界は成り立っている。入ってくるものがいれば、出ていく選手もいるのが、この世界。

 そして、一軍という場で彼らを活躍できるように育成することを担当するのが、コーチや二軍監督といった、私が長く担ってきた職務になる。私自身はスカウティングに大きく関わったことは少ない。だから、毎年、よく知らない選手を「育ててくれ」と、チームからあてがわれると思ってもらえばいい。私自身、プロ野球で50年もユニフォームを着てきた身だ。当然だが、私なりの選手の好みや、伸びると思われる技術的、身体的なポイントは持っている。自身でスカウティングをすれば、そんなタイプの選手を獲得するように努めるだろう。でも、スカウトは私とは別の人格だ。私ならば獲得に動かなくても、彼らだからこそ見つけられた、その選手の美点がある。大事なのは、そこなのだ。

 もし、私が自身の好みに合わないからと、ある選手に「この子はダメだ」とレッテルを貼ってしまうと、どうなるだろう?

 選手の視点でいえば、その選手が成長し、一軍の戦力となる機会を奪うことになり、彼の野球人生は大きく損なわれることになる。逆にチームの視点で見れば、彼を獲得するのに奔走したスカウトの労力、検討した時間、契約金や年俸といった投資が無駄になるだけでなく、彼の成長を見越して描いていたチーム構想も破綻する。だから、決して私は「ダメ」とは言わない。もし、それを言葉にしてしまえば、何もかもがそこで終わってしまうのだ。選手は入ってきた時点で、宝なのだ。チームが大きなお金や、時間を使って獲得してきた人材なのだ。役に立つ人にしなければならない。わかりきったことなので、私の視点がそこからズレることはなかった。だから、新しく入ってきた選手と相対するときは、必ず、スカウトの意見を聞いた。「何年後に一軍で活躍できるように」、「ストロングポイントはここで、克服すべき部分はここ」や「性格的にどういうところがある」、「どんな環境で育ってきたか」などの情報だ。

 そういう情報を頭に入れた上で、私は選手と向き合ってきた。すると、いいところが見えてくる。そこをプロで通用するレベルに上げていければ、一軍で役に立つ選手になってくるわけだ。私の仕事もその部分を伸ばすことを優先するようになる。その上で、弱点を克服すべきか、克服できないまでも目立たなくする方がいいか、などを整理するわけだ。 もし、情報を入れずに感覚的に選手を観て、すぐに弱点克服などに手を出してしまうと、その選手の持ち味も失ってしまうことがある。野球のバッティングというのは、長所と短所が隣り合うようにあることが多いもの。目につく弱点の理由は、その選手のいいところに関わっていることがほとんど。弱点に手をつけるのは、時間を置いてからであるべきだろう。

「ダメ」を挙げても、人は育たない

 それは野球以外の社会にも通じることではないかと思う。 世の中の会社にも、プロ野球の世界と同じように、毎年のように新入社員はやってくる。会社によって、その社員らを一人前にしていくカリキュラムは違うのだろうが、根本は大きく変わらないはずだ。新人の面倒を見る、直接の上司や先輩、研修担当といった人たちが、野球でいう、私のようなコーチにあたるのだろう。

 でも、そんなコーチにあたる人々の新入社員評というのは、手厳しい傾向にある。「あれは、ここがダメだ」「彼はここができない」と目につく短所を次々に言葉にする。挙げ句の果てには「最近の若い者は……」と個性も何もかもを破棄し、世代論で片付けようとする。これでは、その新人は育たない。こうなってしまうと、会社は大きな損失をしたことになる。プロ野球のように先に契約金が発生するわけではないが、その新人を採用するためには、多かれ少なかれ会社は労力や時間をかけているはず。当然、その人材の成長を見越した上でのプランもあるだろう。それが、指導する側の「ダメ」の言葉で、吹き飛んでしまったことになる。

 プロ野球のチームだろうと、会社だろうと、そのほかの組織だろうと、人材というのは、やってきた時点ですでに宝であるはず。「ダメ」という言葉は使えない。しかし、何年も思った通りには伸びてこない人もいる。それでも、「ダメ」はまだ早い。

【著者プロフィール】
内田順三(うちだじゅんぞう)
1947年生まれ。静岡県出身。左投左打。東海第一高から駒澤大学へ進み、70年にドラフト8位でヤクルトへ入団。日ハムを経て、77年に広島へ移り、代打の切り札として活躍。82年の引退と同時にコーチに就任。以後、広島と巨人で交互に打撃コーチ、二軍監督などを務める。広島では正田耕三、金本知憲ら、巨人では松井秀喜や高橋由伸、阿部慎之助らの育成に携わった。2019年をもって、巨人コーチを勇退。2020年からはJR 東日本の外部コーチを務める。