除染作業員は“下級国民”なのか? 震災復興の裏に渦巻く闇を赤松利市が告白

文芸・カルチャー

公開日:2020/3/29

『下級国民A』(赤松利市/CCCメディアハウス)

 2020年1月24日の夜、ネット上で目にした速報に心が躍った。それは、第22回大藪春彦賞の受賞作が赤松利市さんの『犬』(徳間書店)に決定したというもの。赤松さんといえば、住所不定・無職の状況で書き上げたという『藻屑蟹』(徳間書店)で大藪春彦新人賞を受賞した鬼才だ。
 
 衝撃的なのは、作家としてのプロフィールだけでない。デビュー後に続々と刊行された作品はどれも代表作となり得るほどインパクトがあり、圧倒的な存在感を放つ。人の心の闇が暴力的に描かれているのに、どことなく温かみが感じられる赤松さんの作風は、筆者をはじめ多くのファンを痺れさせてきた。
 
 そんな赤松さんが大藪春彦賞受賞後に刊行したのは、自身初となるエッセイ本『下級国民A』(CCCメディアハウス)。本作には東京で住所不定に陥るまでに見た被災地での生々しい記憶が綴られている。

「狂乱の復興バブル」の東北で見た“日本の闇”

 本書の内容は、2011年の東日本大震災発生後、まだ半年も経たない夏の日に土木会社を営むある社長から、自身の息子を伴い東北へ仕事を探しに行って欲しいと相談されたことから始まる。バブル期に125名の社員と2400万の年収があった「私」は会社を破綻させ、兵庫県でコンサルティング業を営んでいたが、仕事は先細り、未来への不安が募る日々を送っていた。

 当時は「狂乱の復興バブル」という字句が週刊誌に踊っていた時期。社長は「私」に言った。肩書きは営業部長で、とりあえずの給料は月給40万。仕事が軌道に乗って儲けが出れば、それは綺麗に折半しよう、と。

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 悪くない条件だと思った「私」は東北行きを決意し、仙台へ。しかし、女川町で最初の仕事を得たあたりから、「私」の人生は不穏な方向へ向かい始める。あくまでも営業部長として東北に来たはずだったのに、作業員の頭数として現場に出ることになってしまったのだ。

 関西から呼び寄せた、共に働く7人の作業員らは役職の上下どころか、長幼の序という発想も持ち合わせていない者ばかり。彼らと作業員宿舎で暮らしながら働いていた「私」は、やがて執拗なまでのいじめを受けることに…。「私」は罵倒され、もてあそばれ、嘲笑され続けても、本を読み、好きな物語の世界に逃避しながら必死に働き続けた。

 だが、その先に待ち受けていたのは想像を絶するもっと醜悪な世界――本作は単なるエッセイではなく、東日本大震災とその復興の裏にあった“もうひとつの日本の姿”を明らかにする告白本でもある。

「下級国民A」は私たち自身かもしれない

 暗い現実を目の当たりにした赤松さんは、読者にこう語りかける。

“上級国民”があるのなら、その対語は“下級国民”だろう。確かに末端土木作業員や除染作業員に従事するしかなかった私は“下級国民”だった。しかし今の日本で、それは特別な存在なのだろうか。どこにでもいる存在なのではないだろうか。”

 人間は生まれながらにして平等なのではなく、この世は理不尽なヒエラルキーが存在する格差社会であるようにも思える。その中で、自分は“上級国民”だと認知している人は一体どれくらいいるのだろう?
 
 諦めや自暴自棄をくり返し、ままならない現実を受け入れながら今に順応しようとする“下級国民”になってしまったのは、きっと筆者だけではないはずだ。

 本作で明かされる「美しい国、日本」の裏側や、熱のこもった赤松さんの言葉を目にすると、「人並み」に暮らすことさえも難しくなりつつあるこの国の将来に思いを馳せたくなる。それと同時に、被災地のリアルな姿を目にしながら土木作業や住宅除染、水田除染をしてきた赤松さんだからこそ完成できた過去の小説作品を改めて手に取りたくもなるのだ。
 
 一攫千金を狙う人の欲や、与えられた環境に順応しようとしてしまう人の性を生々しく綴った本作には、多くの下級国民“たち”の憎悪が詰まっている。日本は美しい国――あなたは読後にもそう思うことができるだろうか。

文=古川諭香