シングルファーザーと付き合ったら「お母さん」になるべき? 『出会い系』の花田菜々子が探る、家族のかたち

文芸・カルチャー

更新日:2020/4/10

『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(花田菜々子/河出書房新社)

「付き合うってどういうこと?」という質問に、しっかり答えられる大人がどれほどいるだろう。相手がバツイチで、小学生の息子を2人育てるシングルファーザーの場合、なおさらだ。その戸惑いを真摯に、正直に綴ったのが『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社)。『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』で話題を読んだ、花田菜々子さんによる、実録私小説第2弾である。

 はじめて息子さんたちと対話したときの様子に、花田さんの真摯で正直な姿勢が表れている。「お母さん」になる覚悟はないが、彼らをおびやかしたくはない。それでとった行動が「白目で見つめ返してみる」だ。猫なで声で話しかけてつまらない大人として認定されるのを避けたのは、彼らに好かれるためというより、花田さん自身がそういう大人が好きではなかったからだ。花田さんは彼らにおもねることなく、対等な人間として少しずつ近づいていく。

 一方で、そうはいっても、相手が子どもで関係がセンシティブである以上、配慮しなくてはいけないことは全力で考える(性的なことを、大人としてどこまで配慮・指摘しなければいけないのか、でも家族ではない自分がどこまで踏み込んでいいのか、とか)。

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 そうして〈関係性は無理やりひとつの方向を目指してこじ開けていくことじゃない。日々のやりとりの中で薄い紙を一枚ずつ積み重ねるようにして、オリジナルの形を作っていくもののようだ〉と気づいていくのだ。その過程にはっとさせられもするし、なぜか、大人から傷つけられた過去の自分も一緒に優しくしてもらえている気がして、じんわりあたたかい気持ちにもなった。

 そんな花田さんに、一人だけ「気楽でいいね」と毒矢を放ったひとがいる。いとこの真由さんだ。シングル親への偏見をむきだしにした彼女とのやりとりを綴ったあと、花田さんはこう記す。

真由の暴言は無知から来ていて、それはただ『裸足で逃げる』(※)のような視点にまだ出会っていないからなのかもしれない。

 経験者に話を聞いたり、現状に添う本を探したり、かつて読んだ本から学んだことを思い出したり。本書の折々で、花田さんは“自分ではない視点”をとりこんだうえで、物を考える姿勢を見せている。本書を読んでいると、他者を(それが子どもであっても)一方的に断罪しないために必要なのは、やっぱり知識なのだなあ、と思う。何かを「知る」ことは人の不安や迷いを和らげてくれる。不安でも迷っていてもいいのだということを教えてくれる。だから花田さんは本書を書いたのだろう、と思う。シングルマザーに比べて、シングルファーザーに関連する本があまりに少なかった経験から、同じような気持ちで“正解”を探す人に向けて。“正解”はあくまで自分にとってだけのものだ、ということも含めて。視点を示唆するブックガイドにもなるように。

 花田さんとシングルファーザーのトンさん、子どもたちの関係は限りなく「家族」に近い。これからも薄い紙を一枚ずつ積み重ねるようにして家族になっていくのだろう。先のことなんてわからない不確かな関係のまま、戸惑いを抱え続けながら。その姿を知ることができる本書は、同じように迷いながら生きる人にとって、静かな光になるだろう。

文=立花もも

(※)『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子:著、岡本尚文:写真/太田出版)は、沖縄の女性たちが暴力を受け、そこから逃げて、自分の居場所をつくりあげていくまでの記録を綴ったノンフィクション。

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