今こそ哲学が必要だ! 奴隷から哲学教師になったエピクテトスに学ぶ

文芸・カルチャー

公開日:2020/4/18

『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。: 古代ローマの大賢人の教え』(山本貴光、吉川浩満/筑摩書房)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のために始まった外出自粛が長引き、「コロナうつ」や「コロナ離婚」なんて言葉も聞かれるようになった。フランスの哲学者であり物理学者でもあったブレーズ・パスカルは、人間は自然において脆弱でも思考することができる、ゆえに「人間は考える葦である」という名句を残したとされるが、家に閉じこもってテレビやネットなどからもたらされる新型コロナの情報に触れてばかりいては、ろくな思考にならないだろう。ここはひとつ頭の体操をしなければなるまいと、難しそうな、でも難しすぎると読んでいて眠くなるから、読みやすい本をと探してみたところ、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。: 古代ローマの大賢人の教え』(山本貴光、吉川浩満/筑摩書房)を見つけた。

 今から1900年ほど前に奴隷の子として生まれながら、哲学の教師になったというエピクテトス。本人は著作を残さなかったものの、弟子たちがその言行録を書きとめた『人生談義』は、先のパスカルや、日本では夏目漱石らが愛読していたそうだ。本書は文筆家の山本貴光氏と吉川浩満氏の対談形式によってエピクテトス先生の考え方や、彼の説いた哲学流派の「ストア派」について解説している。たまに対談中に先生本人が登場するのはご愛嬌。

「なんで私が打ち首に?」という不満と嘆き

 会社をクビになるというような比喩ではなく、本当の処刑の話である。この問いかけに対するエピクテトス先生の回答は、「じゃあ、みんなが首を切られたらいいと思うのか?」という一見すると冷たいもの。その真意はどこにあるのかといえば、かつて奴隷だった先生は「現実の苛酷さと理不尽さをよく知っていた」ため、「ほかに考えるべきことがあるんじゃないか」と云っているのだとか。山本氏は「最期のときを心安らかに、また誇り高く迎えることだ」と、先生なら云うだろうとも述べている。なんとも極端な話だが、現代に置き換えてみても理不尽としかいいようのない状況、避けられない状況というのはある。こういった心構えも知っておくといいのかもしれない。

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「自分の権内と権外を適切に見極めよ」

 困難な状況に思い悩むとき、重要なことは「権内にあるもの」と「権外にあるもの」の区別だそう。前者は自分の権利や権力など「自分でコントロールできるもの」のことで、後者は権限の範囲外、すなわち「自分ではコントロールできないもの」のこと。そして悩みの多くが、「この区別に対する混乱から生じる」のだという。もっと云えば、「できることをろくにしないくせに、できないことばかり思い描いている」心の状態が問題。例として、元プロ野球選手である松井秀喜の「打てないボールは、打たなくていい」という言葉を挙げており、好打者はコントロールできないことに煩わされるより、自らができることに集中する見極めに優れているという訳だ。

権内にある唯一の能力「理性」とは?

 エピクテトス先生の説いた「ストア派」のストアとは、英語の「Stoic」の語源でもあり、日本語では「禁欲主義」と訳されることが多い。そう聞くと一般的にはいろいろなものを我慢して節制し…と想像してしまうが、しかし、ストア派の哲学は何かを我慢するのとは違うそうだ。

 そもそも「哲学」という言葉は、明治時代に西洋の学問を日本語に翻訳しまくった西周(にしあまね)先生によるもの。そして哲学の用語によく現れ、ストア派でも重要な「理性」も同じく翻訳された言葉であり、原義とはどうしても異なってしまうという。

 日本ではよく、「理性を失う」とか「理性が飛ぶ」なんて言い方をするが、ストア派における理性とは「判断する能力」であり、それは練習して伸ばすものと説く。エピクテトス先生は「理性」に対応する「ロゴス」と、「能力」を意味する「デュミナス」を合わせた「デュミナス・ロギケー」という用語を使っていた。そのため、「制欲主義」あるいはもっとポジティブに「操欲主義」と云うほうが相応しいそうだ。

 ちなみに、「ストア」の語源をさらに辿ると古典ギリシア語の「柱廊」という意味で、ストア派の創始者とされるゼノンという人物が、「静かな場所で講義したかったから」と選んだ場所が廊下だったため。それは、講義が万人に開かれていたことを意味し、現在においてTwitterなどのSNSで専門家の話に触れる機会があるのにも似ているかもしれない。

 しかし同時に、断片的な言葉を目にして「やっぱり!」とか「けしからん!」と、「自分で判断するより先に解釈が働いてたりすることがある」点を吉川氏は憂慮している。だから、エピクテトス先生が残したこの言葉を覚えておこう。

「人々を不安にするものは事柄ではなくして、事柄に関する考えである」

文=清水銀嶺