「マジヤバイっす」は敬語っすよ! 「ス体」初の研究書

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公開日:2020/4/19

『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』(中村桃子/白澤社)

 私は敬語というやつが苦手だ。浅学ゆえに使いこなせないというのもあるが、敬語は“技術”であり、その来歴とも遠からず関係があると思うのだ。日本史において地位の高い者がより上位の家に人質として送られたり、封建的な盟約で血縁関係を結ばされたり、貧しい者は口減らしや生きる糧を得るために奉公に出されたり、上位の者にへりくだらなければいけないシーンが多くあった。その際、技術として敬語を使いこなせるかどうかが自身の生き死にと直結していた訳で、そんなもの現代では不要だと思うのだ。ところが、近年には「堅苦しさを取り除いて、軽く敬意も表している」言葉があるというのを『新敬語「マジヤバイっす」: 社会言語学の視点から』(中村桃子/白澤社)で知った。

 本書は、「そうっすね」のような言葉遣いを「ス体」と名付けて、日常会話からメディアまで、その過程と意味付けを言語学者である著者が分析しており、目から鱗がポロポロと落ちるのが愉しい。

いつごろから誰が使い始めたのか

 メディアで確認できた最も古い「ス」の出現は、1954年10月12日の『朝日新聞』に掲載された『サザエさん』だそうで、左官屋さんが磯野フネに「仕事はすんだんすが」というセリフ。ただし、「すんだのですが」が変化していると分かるものの方言との区別がつきにくく、別の例として1966年9月22日の『朝日新聞』夕刊に掲載された『フジ三太郎』も提示している。そちらでは、読経に訪れたお坊さんに向かって三太郎が「ていねいにやって いいスよ」と云っており、ここでも「いいですよ」の「です」を「ス」に短縮していることに加え、決して若者言葉という訳ではないことがうかがえる。そして、どちらも促音の「っ」を伴っていない点から、現在よく使われている「ッス」は「ス」よりも新しいのではないかと著者は推測している。

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日本語で“親しい丁寧さ”を表現するのは難しい

 では、どうして「ス体」が敬語と考えられるのか。敬語は、相手に対する敬意に関わる用法の「対者敬語」と、話題になっている人物に対する「素材敬語」に分けられ、前者において「です・ます」を用いる話し方は丁寧体に、「だ(た)・である」は普通体に区別される。

 そして著者が、「ス体」を研究するにあたって男子大学生が実際に会話している状況を録音し「談話分析(discourse analysis)」したところ、後輩が先輩に「ス体」を使っているのに対して、先輩が使ったり後輩同士で使ったりというケースは見られなかった。これは、先輩が後輩に「です・ます」を使わないからであり、後輩が「言語的丁寧さ」を尊重していることを示しているという。

函館出身の警察官が関西弁を使った理由とは?

 ただし、自然な会話が「本物のデータ」とは限らないというのが、社会言語学の複雑かつ興味深いところ。それこそかつては、メディアでの言葉遣いは「本物の会話ではないから」という理由で、研究対象にするのを避けてきたのだとか。しかし、私たちは本物の会話においても無意識に意図を持って言葉を使い分けているらしい。

 2017年5月23日に北海道札幌市で発生した強盗事件では、警察官が犯人を取り押さえる際に「観念せぇ!」と関西弁で話しかける様子がインターネットTV(Abema Wave)で流れた。この警察官は函館出身なのだが、テレビの取材に対して「思わず関西弁になった」と答えており、「関西やくざ」をイメージさせる映画などのメディアの影響を受け、言葉で相手を威嚇するために意識せず選択したことが考えられる。

「っす」は丁寧語っすよね

 上記の発言は、電子掲示板の「発言小町」に投稿された質問だ。もちろん投稿文はもっと長いのだが、それに対するレスポンス(応答)の内容の90%が「スは丁寧語ではない」と評価していることに著者は驚いたという。同じ「発言小町」における敬語に関する投稿では、ある表現が丁寧かどうかに関してかなりの揺らぎが見られたのに、「ス体」については明らかな偏りがあったからだ。そして、「正しい敬語」のルールを持ち出して否定するレスの多くが「です・ます」を使用している点に、著者は注目していた。

 著者によれば、言葉は「音と単語と文」のみならず、イデオロギーや社会的アイデンティティと間接的に結びつくそうで、それはつまり「ス体」を「です・ます体」の下位に序列化したいという欲求の表れでもある。敬語があることで、それを自らのステータスを高めるのに利用したい心理が働くというパラドックス。うーむ、やっぱり敬語は苦手っす!

文=清水銀嶺