ほんの10分間の読書で心が浮遊し、“今”を忘れることができる……。世界17言語に翻訳された、江國香織ほか人気作家8人の紡ぐ物語

文芸・カルチャー

2020/4/27

『1日10分のごほうび NHK国際放送が選んだ日本の名作』(双葉社)

 小説を読むという行為は、存外、脳のカロリーを消費する。そのため、心や体の体力が低下しているときは、読みたいという気持ちがあってもなかなか集中できないことが多い。そんなとき、ちょっとした気分転換にぴったりなのが『1日10分のごほうび NHK国際放送が選んだ日本の名作』(双葉社)。NHK WORLD-JAPANのラジオ番組で、世界17言語に翻訳して朗読された小説シリーズ第二弾。赤川次郎、江國香織、角田光代、田丸雅智、中島京子原田マハ、森浩美、吉本ばななという8名の錚々たる作家たちが名を連ねている。

 1日10分、というだけあって、本書に収録されている小説はどれもとても短い。それぞれの作家に与えられたページ数はだいたい同じだが、3編を書いた赤川次郎さんの作品は短編というよりはショートショートで、1編あたり3~4分で読み終えることができるだろう。だが、その短さのなかに謎と驚きが詰め込まれ、かつ読後感はさわやかだ。しかも冒頭には「著者のひとり言」と称して、執筆の背景を思わせるような数行コラムが挿入されている。数分で得られる贅沢な充足感に、読んで思わず嘆息が漏れた。さすが赤川次郎、としかいいようのないクオリティである。

 と、赤川さんの3編から始まり、冒頭で述べた作家順に物語が収録されていくのだが、個人的に好きだったのは田丸雅智さんの作品。日本全国の“海”を熟成させた酒を味わるバーが舞台の「海酒」と、綿あめのように色とりどりの雲を育てる店が舞台の「綿雲堂」の2編が収録されており、どちらも語り手の記憶や心象を投影した情景描写がすばらしく美しかったが、とくに前者にうっとりした。

 グラスの底で、故郷の海で泳いでいたのだろう小魚の影がひらめいて、波の音が聞こえてくる。〈酔いが深まるにつれますます鮮やかによみがえってくる瑠璃色の遠い世界に、おれは店が閉まる時間までひたりつづけた。〉という表現に、いいなあ、と思う。海のない町に育ったはずなのに、なぜか自分にもさざ波の音が遠くから聴こえてくるような気がする。ないはずの故郷の海に、一緒に潜ってみたくなる。あるはずのないその店に焦がれ、幻影を追いたくなるような作品だった。

 中島京子さんの「妻が椎茸だったころ」も好きだった。くも膜下出血で突然死した妻のかわりに料理教室へ行く老いた男の物語。甘く煮た椎茸を持参しなくてはならず、なんとかつくろうとするのだけれど、その途中で妻の秘めたるレシピ日記を発見する。〈もし、私が過去にタイムスリップして、どこかの時代にいけるなら、私は私が椎茸だったころに戻りたいと思う。〉この一文の意味を、想像してみることさえできなかった男は、けれど椎茸と格闘するうち不思議と“わかる”ような気がしてくる……。

 作家によってまるでテイストが違うから、そのときの状況や好みによって響く作品も変わるだろう。だが共通しているのは、集中力が途切れる暇さえ与えないほどあっという間に読めて、読んでいるあいだだけは心がふわっと浮遊し、現実を忘れられるということだ。ああ疲れたなあ、もうなにもしたくないなあ、というときにこそ、手に取ってみることをおすすめする。

文=立花もも

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