表現の自由が失われたらどうなる?『重版未定』の作者が憂慮する、サイアクの“未来”

マンガ・アニメ

2020/4/28

『重版未来 ―表現の自由はなぜ失われたのか―』(川崎昌平/白泉社)

「表現の自由」なんて聞くと、どこか他人事のように感じるという向きは少なくないだろう。しかしSNSが身近になり、誰でも簡単に自分の表現が公開できるようになった現在、当然ながら「表現の自由」は他人事ではない。少しでもうかつな発言をしてしまうと、いわゆる「炎上」という結果を招いてしまうのだ。だからといって、表現を過度に規制してしまったらどうなってしまうのか。『重版未来 ―表現の自由はなぜ失われたのか―』(川崎昌平/白泉社)は、表現の自由が失われた「もしも」の未来を警鐘的に描いたコミックである。

 本書の作者・川崎昌平氏は、弱小出版社の悲哀を描いた『重版未定』の作者でもある。前作では出版業界の厳しさをリアルに語っていたが、今作は出版業界の未来をかなり極端な形で描いた物語だ。

 この作品で中心に描かれるのは、アンダーグラウンドの出版社「漂流社」のメンバーたち。彼らは「表現」することを規制された世界で、漫画など規制の厳しい本を密かに製作し、出版している。しかし出版管理局の取り締まりは苛烈を極め、作家たちは見つかれば逮捕されるか、あるいは殺されてしまうのだ。そんな状況から逃れるため地下に潜った作家たちから何とか原稿を集め、必死に本を出版する漂流社の編集者たち。しかしそんな彼らに、出版管理局は強力な刺客──「少佐」を送り込むのだった。

 少佐は銃を手に、表現規正法の違反者たちを次々と排除していく。漂流社も襲撃され、編集者のひとりを失ってしまう。少佐は「暴力」こそが自らの「表現」であるという。それを本でやっているのが漂流社であり、これはいわば、表現と表現の戦いなのだ。そしてついに、漂流社と少佐の最終決戦が行なわれ、漂流社のメンバーは、何とか少佐の打倒に成功。しかし彼らは、少佐の命を奪うことはしなかった。少佐の表現が敗北した時点で、もう戦いは終わっていたのである。戦いに勝った漂流社のメンバーたちは多くのものを失ったが、またイチから編集作業を始める決意を固める。そのために、初代編集長が書いたという本を紐解くのであった──。

 この初代編集長の本の部分から、本書は漫画ではなく文章によって展開することになる。実はこの部分こそ本書の要諦というべきであり、タイトルもズバリ「表現の自由はなぜ失われたのか」となっている。初代編集長はその原因を「表現者への敬意が不足していたこと」「表現から思考する余地を奪ったこと」「『戦後』を終わらせられなかったこと」「表現の自由の名のもとに無責任な言葉を発し続けたこと」としている。「京都アニメーション放火殺人事件」や「表現の不自由展・その後」などの事例を挙げながら、どのような経緯で表現の自由が失われていったのかを分析。それを止められなかった自らを悔いているのだ。

 この文章部分は2030年に記されたという体で書かれている。だからこの未来を止めるのは2020年の今なのだ、という警鐘だ。もちろんあくまで作者の個人的考えであるが、この作者と同じくかつて編集者でもあった私としては、理解できる部分もある。だから今後、作者がどのように行動していくのか気になるところだが、それ以上に気になるのが「東京オリンピックが終わった2020年後半頃」という箇所。……まあ、未来のことは誰にも分からないということか。

文=木谷誠

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