大学生が飲酒運転で轢き逃げ――人を殺してしまった僕は罪や遺族とどう向き合ったか

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/10

『告解』(薬丸岳/講談社)

 犯罪は被害者と遺族を傷つける、許されない行為。しかし、もしある日突然、自分が加害者になってしまったら、いったいどんな贖罪をすれば犯した罪は赦されるのだろう。『告解』(薬丸岳/講談社)は、そんな思いに駆られる重厚な長編小説だ。

平穏な学生生活、轢き逃げを起こして日常が崩壊…

 
 20歳の大学生だった籬翔太はある日、友人と飲酒した後、喧嘩中の彼女からメールで呼び出され、深夜に車を運転。赤信号を無視し、横断歩道を渡っていた81歳の老女をはねてしまった。
 
 自分の未来が瞬時に閉ざされてしまう不安。教育評論家として活躍する父親のメンツがつぶれてしまう恐怖。身近に迫っている姉の結婚が破談になってしまう申し訳なさ――それらが頭に浮かんだ翔太は動揺し、その場から逃亡する。その後、被害者の女性は死亡し、防犯カメラの映像によって翔太は逮捕される。ネット上では、200メートルも被害者を引きずった鬼畜な轢き逃げ犯だと語られた。
 
 逮捕される前に、翔太は綾香からの呼び出しメールを削除していた。事件のきっかけに深く関係していたと知って彼女が傷つかないよう、取り調べでは深夜に運転した理由を「急にドライブがしたくなったから」と答えた。同時に、自分は信号無視をしていないと嘘もつき、「人をはねたのには気づかなかった」と偽証。しかし結局、裁判では懲役4年10カ月の刑が確定し、刑務所に入ることになった。
 
 その判決を、被害者の夫は、息子に頼んだ裁判の録音を聞いて知る。彼は、翔太が刑期を終えて社会に出てきた時に“ある目的”を果たしたいと願い、自分の顔を知られたくないと考えたために裁判所へ足を運ばなかったのだ。
 
 裁判から5年の月日が流れ、出所した翔太は自分が犯した罪のせいで家族の人生が変わってしまったことを知り、改めて自責の念に駆られる。これ以上、迷惑をかけられないと思い実家を出て一人暮らしを決意したが、その一方で自分が犯した罪をまだ直視できずにもいた。事件のことを思い出したくない…だから自分が轢き殺した被害者の顔を知ろうともしない翔太には、被害者遺族に会う勇気もなく、担当弁護士から勧められてもまだ線香をあげに遺族に挨拶に行くことを拒否していた。
 
 同じ頃、被害者の夫は翔太が出所したことを知り、同じアパートへ引っ越すことを決意する。最愛の妻を殺された男が温め続けてきた“ある計画”とは…。

重厚なミステリーに描き出される、真の贖罪とは

 ひとつの事件により、被害者と加害者、そしてその家族それぞれの苦しみを抱えることになった人々の心境が細かく描かれている本作は、「真の贖罪とは何か」を私たちに問う。事件に関わった人全員が満足できる償いなどあるはずがない。だからこそ、犯してしまった罪をどう償えばいいのかと考えさせられてしまうのだ。

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 心で思っているだけでは、自責の念や反省は決して伝わらない。謝罪という形で言語にしてみても、「何とでも言えるだろう」と返されてしまえば終わりであるし、真意は伝わりにくい。犯した罪そのものは許されることではないが、時間を戻して事件前に戻ることはできない。そうであれば、背負った罪について見ぬふりをせず、刑期という時間が流れるのを待つ以外の方法で償うにはどうすればいいのだろうか。

 もしかしたら自分や身近に起こるかもしれない突然の悲劇を綴った本作は、そんな疑問について、ある光を与える。それは、罪を受け入れること。罪を乗り越えること。罪を憎むこと。――罪との向き合い方をいろいろな角度から深く考えさせられるラストでの対話は、涙なしでは読めないはずだ。

 本作には、『友罪』(集英社)や『Aではない君と』(講談社)など、数々の社会派ミステリーを生み出してきた薬丸氏だからこそ導き出せた、「告解」の形が浮き彫りにされているのだ。

文=古川諭香