“ひとりぼっちの寂しさ”をドラァグクイーンの店主がつくる滋味あふれる夜食が癒す――『女王さまの夜食カフェ マカン・マランふたたび』

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/29

『女王さまの夜食カフェ マカン・マランふたたび』(古内一絵/中央公論新社)

誰かと一緒にいたくて、でも、しがらみのある友人や知人とは喋りたくない。そんな矛盾した人恋しい夜が、誰にでもあるものよ

 と、深夜営業の夜食カフェ「マカン・マラン」の店主・シャールは、土砂降りの雨に誘われてきた客の裕紀に言う。累計10万部突破のシリーズ2作目『女王さまの夜食カフェ マカン・マランふたたび』(古内一絵/中央公論新社)の一場面だ。

 実家の旅館を継ぐ出来のいい兄の下で、期待されない次男として育った裕紀。マンガ家としてもぱっとせず、行き詰まりを感じているところに兄が急逝し、地元に戻らなければならなくなった彼は、かたく閉ざしてきた心をシャールにほどかれ、見ないふりをしてきた感情をつきつけられる。誰にも必要とされない心細さ。自由という名の孤独。優秀な兄の身代わりとしてしか必要とされないやるせなさ……。そんな裕紀に、シャールはソイ・ミートでつくった竜田揚げを提供する。鶏肉と遜色ない旨みと栄養をもつその料理を通じて、裕紀は兄の劣化コピーなんかじゃないと伝えるシャールの言葉が、押しつけがましさなく、すとんと胸に落ちるのは、ドラァグクイーンとして生きる彼自身が、他者との比較や居場所のなさを乗り越えて、笑う強さを身につけてきたからだろう。

 裕紀だけでなく、マカン・マランを訪れる多くは、自分の価値を信じられなくなっている人々だ。派遣社員の真奈は、職場のボス集団におもねるしかできない、おもしろみのない自分に倦んでいる。母親から“ちゃんとする”ことを求められ続けてきた未央は、“普通”ではない息子に焦り、苛立つ自分を嫌悪する。3人に共通しているのは「こんな自分はいやだ」「変わりたい」と願っているのに、どうにもできずもがき苦しんでいること。決して、努力していないわけじゃないが、心に負った傷を直視できないまま、根本的な解決からズレた行動に出るから、空回る。その不器用さが、ますます彼らの傷を、深くしていく。

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 シャールは、彼らの悩みを具体的に解決するわけじゃない。ただ、きっかけをくれるだけだ。

ここは、まるで深い海の底のようだ。形も色も違う魚たちが、思い思いに揺蕩っている

 マカン・マランのやかましくて奔放なお針子や常連たちの姿を見て、真奈は思う。窮屈に群れるだけが、人との関わりじゃない。偶さかカフェで居合わせた相手との出会いが、人生を変えるほどの救いとなることもあるのだと。誰にも理解されないひとりぼっちの寂しさを、マカン・マランの滋味あふれる料理とシャールの言葉、そしてしがらみのない常連たちの自由さは、癒してくれる。ほんのひととき、けれど確かな心強さをくれるその瞬間が、未来への一歩を踏み出す力となるのだ。

 シャールの中学時代の友人で、ドラァグクイーンとなったシャールをいまだ受け入れきれない柳田は、本作の最後でこんな胸の内をさらす。〈理解もできないし、したくもない。それでも、きっと、見守るしかないのだろう〉。自分の人生は、自分で舵をとるしかない。だからこそ追い風となってくれる誰かが見守ってくれるまなざしや、あたたかな食事をくれる場の尊さが、胸にしみるのである。

文=立花もも

♠『女王さまの夜食カフェ マカン・マランふたたび』お品書き♧
第一話 「蒸しケーキのトライフル」 〈擬態〉だけ得意になる、ランチ鬱の派遣社員へ
第二話 「梅雨の晴れ間の竜田揚げ」 夢を追うことを諦めた二十代の漫画家アシスタントに
第三話 「秋の夜長のトルコライス」 子供の発育に悩み、頑張り続ける専業主婦へ
第四話 「冬至の七種うどん」 親子のあり方に悩む柳田とシャール。それぞれの結論とともに食す「再生のうどん」