ドラァグクイーンが路地裏で営む、夜食カフェで客が救われる!「マカン・マラン」で出会うもの 【累計10万部突破の人気シリーズ】

文芸・カルチャー

更新日:2020/5/29

『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵/中央公論新社)

 商店街の路地裏に、ひっそりたたずむ一軒家。昼間はスパンコールやスワロフスキーをちりばめた煌びやかなダンスファッション専門店だが、深夜になると疲れた人々を癒すカフェに変身する――。インドネシア語で夜食を意味する「マカン・マラン」を舞台に描かれる、累計10万部を突破したシリーズ。第1作『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』(古内一絵/中央公論新社)が、読者の心をつかんだのは、やはり第一に店主であるシャールの造形だろう。

白く塗り込んだ肌に、クレヨンで描いたようなアイライン。瞬きするたびに、音が出そうなつけ睫毛。ダリのリップソファを思わせる、艶々と輝く深紅の唇。それを無理矢理まとめる額縁のように、ショッキングピンクのボブウイッグが揺れている

 第一話の語り手・城之崎塔子が道で倒れ込んだところを、助けてくれたシャールの描写だ。それだけならただの派手な女性だが、よく見てみれば〈隠しても隠し切れない、いかつい中年男の顔〉が白粉の下から浮かび上がる。そう、シャールは女装男性。本人の言葉を借りれば、品格あるドラァグクイーンなのである。

 だが、シャール自身のことは本人の口からほとんど語られない。ダンス衣装をつくるお針子さんへの賄いの延長で、常連さんたちのためにひっそり営業をはじめた「マカン・マラン」。ときどき、呼び寄せられるように店にたどりつく客たちの目線で、本作は紡がれていく。

advertisement

 シャールはいつも優しくて、目の前の人がなにに“餓えて”いるかを的確に見抜く。女性だから、下請けだから、教師だからと、理不尽を呑み込まざるを得ない境遇に置かれた人々の憤懣や諦めを、人相や佇まいから察して、必要としているあたたかな料理を供する。春野菜のキャセロール、もちきびの善哉、金のお米パン、世界一女王のサラダ……。滋味あふれた食の描写は、客と読み手の胃袋を刺激して、知らずかたくなっていた心を溶かしていく。

 余裕がないと、人は“食べる”ことをおざなりにしてしまう。ジャンクな食事が悪いわけではないけれど、望んで食べるのではなく、自分自身を雑に扱った結果ならば、それは心も生活も荒ませる。けれど、おそらく人並み以上に苦労を背負って、今なお理不尽と戦っているはずのシャールが言うのだ。大丈夫、と。あなたの頑張りは無駄じゃない。仮に無駄だったとしても、明日を生きる糧にすればいい、と。

〈世の中なんて、元々全部、その人の錯覚なんじゃないの?〉とシャールは言う。人はそれぞれ、痛みを背負って生きている。人と比べたり、明確な“意味”を求めたりしたら、どこにも行けない。たとえ錯覚であっても、自分の目を通して、自分が満足できる道を選ぶしかないのだ。おいしい、と思える食事を選び取るのは、その一歩のような気がする。空っぽな自分を満たすように、空っぽな胃袋を、すこしでも体によくておいしいと思えるもので満たす。その先に、幸せはきっと待っているはずだから。

文=立花もも

♠『マラン・カラン 二十三時の夜食カフェ』お品書き♧
第一話 「春のキャセロール」 早期退職者候補になった、仕事一筋の40代キャリア女性へ
第二話 「金のお米パン」 手料理を食べたくなった中学生男子に
第三話 「世界で一番女王なサラダ」 仕事に夢を見られない、20代のライターへ
第四話 「大晦日のアドベントスープ」 病を抱え、倒れてしまったシャールへ彼女に助けられた人々が、素材を持ち込み思いを煮込めた極上スープ