母親の遺骨と暮らす車上生活者の貧困理由は…? 年収100万円で必死に生きる16人の叫び

社会

公開日:2020/5/12

『年収100万円で生きる −格差都市・東京の肉声−』(吉川ばんび/扶桑社)

「貧困」と聞くと、私たちはまずホームレスや生活保護受給者などを思い浮かべる。最近では、シングルマザーのような女性の貧困にも目が向けられるようになってきた。だが、そうした話を私たちはどこかで「他人事」と思い、貧困に陥ってしまった人々の「自己責任」という言葉で片付けようとしてはいないだろうか? そこに疑問を訴えかけるのが、『年収100万円で生きる −格差都市・東京の肉声−』(吉川ばんび/扶桑社)だ。
 
 本書は「日刊SPA!」で公開され話題となったシリーズ企画を書籍化したもの。今や格差都市と化した東京で、絶望しながらも貧困と共に生きる16人の“叫び”を収録している。著者が目を向けたのは、正規雇用されていなかったり定住先を持たなかったりしながらも、いつかその窮地から抜け出せるはずと信じていた人々。そうした状況で暮らす人々の貧困は、ホームレスの事例とは異なって目に触れにくいからこそ、より深刻だという。なぜ彼らは貧困から抜け出すことができないのか。その背景には、「自己責任」という一言で片付けてはいけない現代日本の闇がある。

介護で離職。年収400万円から「車上生活者」に

 近年増加しているのが車を住まいとする「車上生活者」だ。本書に登場する篠原さん(仮名)も、そのひとり。彼が車上生活者となった理由には、母親の介護が関係していた。

 工場勤務に励む日々を送っていた篠原さんは年収400万円ほどだったが、若いころに自分が非行に走っても女手ひとつで育ててくれた母親の面倒を見るために、介護離職。母の死後に母のつくった借金や未納だった税金を肩代わりして支払うと、口座は空になってしまった。再就職先もすぐに決まらず、頼れるツテもなかったため、生活保護の申請に行ったが、住む家があることや介護用に購入した車が判断基準となり、門前払い。そうこうしているうちに家賃滞納でアパートを追い出され、母親の遺骨とわずかな遺品を持って車の中で暮らすようになったという。

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 突然の親の介護により貧困状況に陥った篠原さんのエピソードは、高齢化社会を生きる私たちにとって、他人事ではない。そして、介護だけでなく、自然災害や新型コロナウイルス感染症のような未知の病によっても、ある日突然、生活が不安定になる危険性は誰にだってあるのだ。

 今の日本は人生100年時代といわれる一方で、旧来の終身雇用制度は見直しが進み、正社員であっても安定した生活が保証されなくなってきている。こうした状況下で一度でも貧困に陥ってしまうと、そこから這い上がることは非常に困難だ。また、生まれながらに貧困を背負わざるを得なかった境遇の人々は、最低限の衣食住を確保することで精いっぱいだ。

 自らが貧困出身だと語る著者の吉川さんは身をもって貧困から抜け出すこと、這い上がることの難しさを知っているからこそ、読者の心を揺さぶる一言を放つ。

“「生まれついた家庭が貧しかったこと」は、本当に自己責任だろうか。固定化された格差から這い上がれないのは、努力が足りないせいだろうか。あなたが今、生活に困窮していないのは、本当にすべてが「あなた個人」の努力の賜物だろうか。”(引用)

 日本には貧しさは恥であり負け組である、という考えが今も根強くあるように思える。それによって生活困窮者はSOSの声を上げることを躊躇い、本当に必要なサポートが築かれないという悪循環になっているのではないだろうか。

 格差をなくすことは難しい。しかし、貧困問題を端的な言葉で片付けたり、見世物のように取り上げたりするのではなく、その裏にある十人十色の理由を考慮できる人が増えていけば、社会から爪はじきにされた人々も今より安心して眠れる日々が送れるはずだ。

 同じ社会で生きる人を軽々しく切り捨てないためにも、まずは本書を通して「自己責任ではない貧困」について知ってほしい。トランクルームに住むワーキングプアや、田舎暮らしで失敗した転職漂流者…。彼らの貧困理由を知ってもなおあなたは自己責任論を振りかざせるだろうか?

文=古川諭香