親子だからこそ人間関係づくりがポイント! 認知症の人のイライラが消える接し方とは?

暮らし

公開日:2020/5/28

『認知症の人のイライラが消える接し方』(植賀寿夫/講談社)

 物忘れや判断力・理解力の低下などの「中核症状」に加え、徘徊、暴言・暴力、妄想などの「周辺症状」が現れることがある認知症。そのため認知症を患う親の介護はたいてい苦戦する。いや、苦戦という表現では言い足りないほど疲れ果てる。

『認知症の人のイライラが消える接し方』(植賀寿夫/講談社)は、親の介護に頭を抱えている人にこそ読んでほしい作品だ。著者は、広島県にある「みのりグループホーム川内(以下、みのり)」の施設長を務める植賀寿夫さん。

 植さんは認知所ケアの本質を「人間関係づくり」と説く。親の介護において人間関係もなにもないように感じるが、ここに意外な盲点があるのではないかと教えられた。そのエッセンスを少しだけご紹介したい。

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ポイントは「いちど『世界』を合わせてみる」こと

 親がひとりで出かけようとするところを必死に引き留める、介護する子ども――。認知症介護で、いかにもありそうな場面だ。認知症の人は、外出すると今いる場所がわからなくなったり、帰り道を忘れてしまうことがあるため、そのまま行方知れずになる危険がつきまとう。実際、警察庁の発表によると、ここ数年は毎年1万人以上の認知症の人が行方不明になっているという。

 だから介護する側(以降、介護者)は、「一緒について見守る」か「外出を諦めさせる」かという2択を迫られることになるのだが、見守るのは大変だし、「出ないで!」と止めれば反発される……。どちらにしても、ハッピーエンドにならないことが多い。おまけにそれが日常茶飯事となれば、ストレスもたまるはずだ。

 ではどうするか。ここで本書のなかから事例をひとつ、ご紹介したい。介護施設に入居している、ある男性の話だ。現役時代に経営者だったテラダさん(72歳)は、決まって深夜にトイレに行く。その後、何事もなくベッドに入れば、職員は安心。しかしテラダさんは認知症だ。ときどき現状を正しく認識できなくなり、「自分はまだ経営者」「今は朝」のつもりで「出勤モード」に入ってしまうことがある。

 そうなったら、さあ大変。認知症のテラダさんにとっては、「朝を迎えて、かつて経営していた会社に出勤する」という世界が現実なのだ。互いに見ている世界が違うので、介護者が不用意に「もう寝ましょうよ」などと声をかければ不興を買う。下手をすれば「出せ!」と騒がれる。「朝の出勤前に『寝よう』とは何事だ!」というわけだ。

 冬のある日。凍り付くような早暁――、よりによってこんなときに、テラダさんが「出勤モード」で起き出した。職員はしばらく見守っていたが、こう声をかけたという。

「寒くない?」

 すると、テラダさんも「寒いです」と答えたので、すかさず職員が「暖かい所、行こうやぁ」と誘導。ごく自然にテラダさんをベッドへ促して一件落着となったそうだ。

 言うまでもないが、認知症の人であっても冬の日は寒さを感じる。「出勤時間か・寝る時間か」という点では見ている世界が違っても、「寒い」という1点では、介護する人・される人の世界が重なり合っている。職員はその世界に「合わせた」言葉をかけたから、うまく問題を解決できたのだ。

 そう、「相手の世界を理解して合わせてみる」――それこそが、事態を丸く収める成功の秘訣なのだ。

「頼れる人」になるのが目的

「いったん合わせる」のは、相手に振り回されるということだ。一見すると面倒だが、植さんはそれこそが重要だと、本書で語っている。なぜなら、認知症の人に“合わせること・合わせるという姿勢を一度でも見せること”で、介護者が「頼れる人」になるからだ。

 そして、認知症の人から「頼れる人」認定されれば、その後は小細工をしなくても介護がうまくいくようになるという。たとえば外出しようとしているお年寄りに、「今日は出かけないで」とお願いすれば、本人が「そうねえ」と納得して終わる……といった具合だ。だから植さんは、こう言うのだ。

「頼れる人」の言葉は聞いてもらえる

 誰だってそうだ。どんな生き方をしていても、対立関係にある人の言うことに耳を貸さないのは当然のこと。逆に、「この人は頼れる!」と感じられる、信頼できる人の言葉は聞き入れたくなるし、第一、いざというとき心強い。それは認知症がある人も同じだ。

 だから本書で植さんは「人間関係づくり」こそが認知症ケアの本質だ、と言っている。〈頼ってもらえる「人間関係づくり」にこそ心を配ろう〉ということなのだ。

 これは親子の関係であっても同様ではないか。たとえ認知症になろうとも、親には親の都合がある。それを確認せずに介護者の都合ひとつで「危ないから出かけないで!」と引き留められると不信感が募る。ひとりの“人間”(ましてや年長者!)である以上、相手のやることを頭ごなしに否定してはいけない。否定された親がますます「介護拒否」になるのもわかる気がする。

関係づくりのテクニックの数々

 もちろん介護者には仕事があり、介護で消えたプライベートがあり、押し殺した感情がある。だから植さんは、「危ないから出かけないで!」という反射的な発言を責めるようなことは書かない。その代わり、困った場面が起こるのを予防する策や、土壇場で使える“あの手・この手”をたくさん提供してくれている。たとえば、

●その人の「ルール」を探る
→余裕のあるときに、認知症の人が受け入れやすい伝え方や、キーワードを探っておく。いざというときに使える

●お年寄りに同調する
→何を言っているか、よくわからないこともある。とりあえず「はいはい」と聞いておき、最後に「何かできることありますか?」と聞き返せばいい

●「忘れ物」で時間稼ぎ
→出かけようとしているお年寄りに「忘れ物してない?」と声をかければ、きっと足を止める。足が止まったところで次の対応を考えられる

 など、著者の18年にわたる経験から練り上げられた知恵・知恵・知恵の数々が盛り込まれているのだが、全部はとても書ききれないので、このくらいにしておこう。詳しく知りたい方は、すぐにでも『認知症の人のイライラが消える接し方』を手に取っていただきたい。

5時間半のイライラに付き合った末に…

 だが、ここまで書いてきたことは、結局のところ弥縫策にすぎない。それよりもっと大事なことがある、と植さんは言う。ここで著者が経験した事例をもう一つ、紹介しておこう。

 介護施設に入居しているタケダさん(74歳)という車イスの男性がいた。イライラすると施設をすぐに飛びだすクセがあった。その日もイライラが高じて施設を飛びだし、職員が慌ててついていく。タケダさんは車いすで、施設の近くに流れる川をずーっと北上。職員がタイミングを見て声をかけるも無視。驚くべきことに、最終的に職員はタケダさん北上に5時間半も付き合った。もちろんどちらもヘトヘトである。

 電話で報告を受けて、車で迎えに来た植さんがタケダさんに問いかける。

「どこに行こうとしたん?」

 すると一言だけ返ってきた。

「病院」

 話を聞けば、タケダさんの奥さんは遠く離れた病院に入院しているという。

 後日、タケダさんを連れて病院に行くと、本当に奥さんが入院していた。植さんは驚いたという。なぜなら、本人からもその家族からも、奥さんが入院しているなどとは一言も知らされていなかったからだ。

 タケダさんは奧さんの手を握って、「悪かったの~。なかなか来れんかった」と話しかけた。しかし寝たきりの奥さんに反応はない。たまたま通りかかった看護師の話から、タケダさんにとって奥さんは唯一の理解者であり、互いに体を患ったため長い間会えていなかったことがわかったそうだ。

 こうして未知の事情が明らかになるとともに、タケダさんの生活に変化がみられるようになった。奥さんのお見舞い後、またイライラが止まらなくなったとき、5時間半も付き合った例の職員が対応すれば、気持ちが収まることが増えたという。

 認知症介護は、言葉では言い表せないほど大変だろう。決して肯定できないが、心身ともに疲弊して、ときに手が出てしまう介護者の心情もよくわかる。しかし、介護者に「思い」があるように、認知症の人にも「思い」があるのだ。

 そして認知症のお年寄りは、まさに「認知症」という脳の病気であるがゆえに、その「思い」をうまく伝えられず苦しんでいるかもしれない。介護者が認知症の人を「面倒をかける厄介者」としてみている限り、彼らの「思い」が見えてくることは決してないだろう。私たちは病者の心を暗黙のうちに「無き者」としているかもしれないのだ。「それでいいのか?」という真摯な問いかけが、本書からは響いてくる。

 本書が伝えようとする内容は、認知症介護のみならず、ケアの本質を突くもののように感じる。福祉施設の元職員が、障害のある人を「心失者」と呼んで葬り去る、そんな時代だからこそ、多くの人に読んで欲しい1冊だ。

文=いのうえゆきひろ