「それでも人間か」事件報道は他人の不幸を娯楽にするだけ? 事件記者が見出す答えは――

文芸・カルチャー

更新日:2020/5/26

『事件持ち』(伊兼源太郎/KADOKAWA)

『地検のS』『巨悪』『ブラックリスト』など、骨太な社会派ミステリーで知られる作家・伊兼源太郎の最新刊『事件持ち』(KADOKAWA)は、千葉県北西部で発生した連続殺人事件を追う若い新聞記者と県警捜査一課の刑事、ふたりを主人公にした長編作品だ。

“事件持ち”とは、自分の持ち場でやたらと大きな事件が発生する記者を表す新聞業界用語。報日新聞入社2年目の永尾哲平は、周囲からそんな“事件持ち”だといわれている事件記者だ。この物語は、永尾が“署回り”で千葉県警津田沼署に詰めていたときに、谷津干潟で他殺体が発見されるところから始まる。3日前にはその現場から直線距離で1キロと離れていない船橋でも殺人事件が起きていた。両事件とも殺害手口はロープ状のものによる絞殺。遺体の手の指が切断されているという奇妙な共通点があり、さらにふたりの被害者は小中学校の同級生であることも判明。千葉県警は同一犯による連続殺人事件として合同捜査本部を設置する。

 永尾は谷津干潟の現場近くで近隣住民への取材を進めていたときに、偶然、被害者たちと同級生である魚住優という男と接触するが、その直後に魚住は失踪してしまう。被害者の関係者をたどる“鑑取り”を担当する県警捜査一課の津崎庸介は、魚住への聞き込みで新聞記者に先を越され、さらに失踪を許してしまったことに焦燥し、捜査の指揮をとる管理官・片岡からも責任を追及される。有力な手がかりが得られない中、片岡はある取引を報日新聞に持ちかけようと画策するのだが、津崎はそのやり口に嫌悪を覚えて――。

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 本作は猟奇的な連続殺人事件の真相を探るミステリー作品だが、同時に報道と警察の存在意義、使命とは何かという現実と地続きの問いを読者に投げかけてくる。

 新聞記者の永尾は被害者の関係者、遺族に取材をしていく中で、時に「それでも人間か」とまで責められる。「事件記者なんて、他人の不幸を娯楽として読者に提供しているだけじゃないのか」――永尾はそんな自問自答を繰り返す。崇高な使命感や正義感があるわけでもなく、報道の意義も見出せない。それでも永尾は取材を続けていく。

 一方の津崎もまた徒労感と無力感に襲われている。どれだけ事件を解決しても、すぐにまた次の事件が起きる。事件は絶えず発生していて、自分は犯罪処理作業に徹しているだけではないか。犯罪を生まない社会なんて、夢物語でしかない。警察官として自分に何ができるのか、じっくりと考える時間もなく愚直な捜査にひた走る。

 ふたりが対面したとき、津崎が永尾に問う。

「事件を解決する警察と、報道とどっちが社会には大事だ? 報道は何のために存在してる?」

 本作はそんな問いにふたりが真正面からの答えを得るまでの物語ともいえる。その結論はいわゆる“マスゴミ”批判が幅を利かせ、フェイクニュースがはびこり、治安維持の名目で警察や権力による市民監視が進む現代の日本社会に生きる読者にも強く訴えかけるものがあるだろう。

 そうした重厚で熱のあるテーマ性だけでなく、本作はミステリーとしても非常にエンターテインメント性の高い1冊になっている。地道な捜査や取材が実を結び、事件が急展開を見せていくクライマックスは実にスリリングで、まさに圧巻だ。著者は新聞記者出身。おそらく、本作では当時の事件取材の経験などを存分に活かしたのだろう。報道と警察の使命と役割を考え抜き、見事にミステリーに結実させた真摯で意欲的な1冊だ。

文=橋富政彦