「我ながら毒気の強い作品ばかり」と著者もつぶやく!現役医師の久坂部羊が紡ぐ強烈にブラックな短編集『怖い患者』

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/8

『怖い患者』(久坂部羊/集英社)

“本書はフィクションです”

 実話でないことは最初からわかっていたにも拘わらず、『怖い患者』(久坂部羊/集英社)の最後のこの一文を読んで安心した。どの短編小説も実際にありそうな出来事が描かれているからだ。そのリアリティの土台になっているのは、著者久坂部羊の医師としての知識と経験である。

 収録されている小説のひとつ「注目の的」で、「ミシュリン」という抗ウイルス剤が登場する。ミシュリンのせいで大学職員の希美は、想像をはるかに超えた混乱に巻き込まれる。

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 前半で希美が同僚からミシュリンの話を聞くくだりは背筋が冷たくなった。

“ミシュリンはアメリカで開発されたヘルペスの抗ウイルス剤で、効果は抜群だけど、最近、副作用が問題になってるらしいです”

 聞いた後、希美はインターネットでミシュリンについて調べる。そこで出てくる内容を知ると、本当に同じような抗ウイルス剤があるのではないかと勘ぐってしまう。

「ご主人さまへ」は、アルミニウムに怯える妊婦が主人公だ。有害ミネラルとされるアルミニウムは、胎児には影響はないそうだが、序盤から彼女は家中のアルミニウムを病的なほど捨てまくる。

 直後に起きる出来事が衝撃的なので、この序盤の設定は見逃しがちだ。しかし終盤になると急にそれが活きてくる。

「天罰あげる」は、自分に合う医師を探すためドクターショッピングをする女性の視点から物語が進む。彼女は自覚のない身勝手さと誤解から、ある医師を悲惨な状況に追い込む。

 ここまでで紹介した3作は、どこにでもいるような普通の女性が主人公だ。だからこそ彼女たちの内面から急に現れる狂気に、読者は震撼する。

「蜜の味」と「老人の園」は少しテイストが異なり、主人公は患者ではなく医療従事者だ。

「蜜の味」の主人公は恵まれた環境にいる女医。彼女が不幸になる結末を予想していたら、とんでもない目に遭うのは読者のほうだった。

 この小説を書いた作家が久坂部羊さんでなければそんなには怖くならなかったはずだ、とまたしても思ってしまう。現役医師が書くからこそ、この女医が実在する人物のように思えてゾッとする。

「老人の園」は高齢化社会に貢献するため、クリニックにデイサービスを併設した施設長が、高齢者たちの争いに頭を悩ませる。

 前半から善と悪がくっきり分かれているように感じられ、不穏な雰囲気が漂っているのだが、ラストが近づくにつれて私たちの先入観はひっくり返される。

「善と悪って実は隣り合わせにあるんだ」

 そう気づいたときにはもう遅い。怖いのに何度も読み返したくなる小説だ。

 著者が正確な医療知識をもとに仕立てた毒気の強いストーリーに影響され、この短編集を読んだ後は、自分がしばらく動けなくなるほどの衝撃を受けていることに気づくだろう。

文=若林理央