男性の前で無知なフリをしたり夫を主人と呼んでみたり。男尊女卑ギライの女性にも潜む“男尊女子”の矛盾

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/2

『男尊女子』(酒井順子/集英社)

 男尊女子。それは〈「女は男を立てるもの。女は男を助けるもの」という感覚を持ち、そこに生きがいを感じる女子〉のことだと、著書『男尊女子』(集英社文庫)で酒井順子さんは言う。

 好きな人のお世話をしたり、無知なフリをして「おまえばかだなあ」と言われたりすることに、ちょっとした快感を覚えたことのある女性は、決して少なくはないだろう。デートで男性がリードしてくれたり、奢りとまではいかなくてもちょっと多めに出してくれたりしたときに、怒り出す女性もそれほど多くはないはずだ。

〈男尊女卑にプンスカしながらも、何かというと男尊女子の影に逃げ込もうとする自分がいるのです。
私は一生、この矛盾を抱えて生きていくのだと思います。そしてこの矛盾は、現代を生きる女性の多くに、存在しているものなのではないか〉

「おわりに」で酒井さんはこう述べている。

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 もちろん女というだけで抑圧されるなんてとんでもないし、同じ人間として対等に、自分らしく自由に生きるのが当然の権利だ。けれど「女は愛嬌」「気が強くて男を追い詰めるような女はモテない」みたいな“男を立てる”昭和の価値観は、男性だけでなく女性側にも少なからず残っている。

 それは、男尊女卑の社会が、女性をただ抑圧するだけのものではなく、責任を負わなくてもいいラクさをともなうものであるからだ、と酒井さんは自身の経験にも照らし合わせて分析する。

〈家庭でも仕事でも、責任ある立場になるのは嫌だし、男女の立場をまったく平等にするなんていうのも面倒。だったら、男に従うということにしておいた方がラク〉だし、夫を「主人」と呼んだり三歩下がって控えたり、男尊女子プレイを貫くことで専業主婦の座を獲得し、裏で実権をにぎる自由を手に入れるほうがいい。そんなマインドが女性のなかにも少なからず残っている以上、そういう女性のほうがラク、と思ってしまう男性が存在し続けるのも無理からぬ話だろう。

 とはいえ、男尊女子プレイじたいが悪いわけではないものの、そうしなければモテない・結婚できないというならやっぱり問題で、そこにわずかでも抑圧の意識があるのならば、子どもを産んでも年をとっても男尊女子プレイを続けなければならないのはしんどいはずだ。それに、すべての責任を負ってくれる夫のもとで専業主婦、なんていうのは一部にのみ与えられた特権で、半端に平等意識の浸透した現代では、男性と同様に仕事をしつつ、家事・育児の主導権もゆだねられ、なおかつ“女らしさ”も求められるという地獄にもつながりかねない。

 けれどその地獄は、責任をゆだねたほうがラクだ、という意識に男女差はないということの表れなんじゃないだろうか。男性もまた、自分だけがリードし責任を負うことに疲れている。だから都合よく、昭和と平成以降の価値観を使い分けている。だが、ひとときのラクさに身をゆだねることは、自分を理不尽な抑圧のもとに追いやることと同義だ。男尊女子が「古い」ではなく「なにそれ?」と言われる時代を築くためにも、矛盾を抱えながらも私たちは“平等”を考え続けていかねばならないのだと、本書を読んで、しみじみ思う。

文=立花もも