伊坂幸太郎が『逆ソクラテス』で描く、子供たちが大人に抗う短編5作――世間の決めつけをひっくりかえせ! 

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/5

『逆ソクラテス』(伊坂幸太郎/集英社)

 デビュー20年を迎えた伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』(集英社)は、5つの短編からなり、いずれも小学生が主人公だ。小学生たちは大人の支配下にある無力な存在だが、この関係が逆転される痛快さこそが、本書の精髄だ。

 劈頭を飾る表題作を例に出そう。久留米という教師が登場し、彼の振る舞いが子供たちに問題視される。久留米は勉強でも運動でも、「この生徒はできる、この生徒はできない」という先入観を持って子供たちに接する。子供のひとりが久留米のやることなすことは、テレビで見た「教師期待効果」にあたるという。「教師期待効果」を要約すると「この子はできる」と期待して指導すればその通りになる、という(その逆も然り)意味らしい。

 勉強も運動もできない草壁という生徒は久留米から期待されない地味な存在。だが、それを逆手にとって、クラスメイトが様々な作戦を決行する。クラスで一目置かれる優等生も加担して、草壁の秀でたところをトリックにより見せつけ、久留米に一泡吹かしてやろうと意気込むのだ。この作戦が成功するかどうかは本書を手にとってみてほしいのだが、大人>子供、という関係を逆転せんと奮起する子供たちは実に輝いている。

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 先述の「教師期待効果」は、大人が子供に押し付けるケースでは特に影響が強くなるらしい。本書所収の短編「アンスポーツマンライク」では、バスケットボールのコーチが、生徒を感情的に恫喝する場面が描かれる。精神論を振りかざすコーチの言葉に子供たちは完全に委縮して、さらにミスを犯す。ところがコーチが代わり、理論的な技術を冷静に話すようになると、子供たちは生気を取り戻すのだ。

 本書のタイトル『逆ソクラテス』とは、教養や知識があるにもかかわらず、自分を「無知」だと言ったソクラテスの逆、ということ。久留米もコーチも、生徒についてよく知っているつもりで指導し、謙虚さの欠片もない。そうした大人たちの憐れさをやや戯画的に描く伊坂の筆致は実に冴えている。

 また、「僕はそうは思わない」「ギャンブルではなく、チャレンジだ」など、短編の中で繰り返し使われるフレーズも印象に残る。本書はどのストーリーにも意想外の仕掛けが施されているが、先述のような台詞が「ここぞ!」という場面で使われ、ユーモアを付加している。

 なお、評者が伊坂作品で好きなのは、国家による行き過ぎた監視社会を揶揄した『ゴールデンスランバー』など、スケールが大きく射程の長いものだった。一方本書は、クラスやチームや家庭を舞台にしており、登場するのも子供や先生や親など。いわば半径5メートル以内の世界に特化している。

 ちなみに社会学には、「スティグマ」という言葉がある。好ましくない違いを持った人に押される烙印=レッテルのことで、スティグマを押された人は劣等性のイメージをなかなか拭い去れない。しかしこのイメージはそもそも作り出されたものだから、変更したり削除したりできるはずである。

 予断や偏見に満ちた大人たちのスティグマをはぎとってゆく子供たちの蛮勇ぶりが鮮やかに描かれた本作、伊坂にとっては明らかな新境地だろう。やはり伊坂は信用できる作家だ。

文=土佐有明