教科書にも「偽書」が載っていた!? 「常識」の中に紛れ込み、歴史をゆがめたものたち

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/6

『偽書が揺るがせた日本史』(原田 実/山川出版社)

 歴史の教科書は、「聖徳太子」像が作りあげられたものであるという説が有力になったり、鎌倉幕府の成立した年の解釈が変わったりするごとに、改訂を重ねてきた。それは、新たに発見された史料や学説を検証することで、より事実に近づこうとするからでもある。ところが教科書にも載り、私たちの「常識」の一部を形作ってきた書物や文書の中には、何者かが意図を持って忍び込ませた「偽書」も紛れ込んでいた、という。この『偽書が揺るがせた日本史』(原田 実/山川出版社)は、そんな偽書の歴史とともに、昨今のキーワードにもなっている“フェイクニュース”に、私たちがどう接するべきかを教えてくれる一冊だ。本書を、「歴史書、教科書、学習参考書の山川」を標榜している山川出版社が刊行したという点も注目ポイントだろう。

道徳の教科書に潜り込んだ偽造の歴史【江戸しぐさ】

 歴史的には確証のない『江戸しぐさ』。本書によれば公共のマナーを提唱するのであればマナーの面のみで語れば良いものを、「江戸商人が築き上げた、よりよく生きるルールのようなもの」と、歴史の仮面を装いながら道徳教材として小中学校に載ってしまったのだという。現代に伝える人物が、故・芝三光(しばさんこう)氏ただ一人である理由について、薩長による「江戸っ子狩り」が行なわれたからなんて、よっぽど歴史的な裏付けがない限り信じることは難しいだろう。採用当時の初等中等教育局長であった前川喜平氏は、後年のインタビューで「あんなインチキなものを伝統的な道徳だって思い込んで学校の教材にしてしまったことは、悔やんでも悔やみきれない」と語っているそうだ。

偽書を生み出す種となった【正史】の存在

 だが、「正史」というものが字義通りに正しい歴史とは限らないのが難しいところ。国家の公式見解となる以上、その国家にとって都合の悪い事柄が省かれたり改変されたりするのは道理。他の資料と突き合わせて検証するにしても、「正史」と相容れない内容だから「偽」とされたものは、編纂された時代背景と深く関わっており、時代の変遷とともに評価が変わることさえある。さらに、「正史」の記述に飽き足らない人々が、正史に題材を取って小説を書くようになり、結果として偽書に近い性質を帯びることになるというから、歴史という学問は誠に厄介だ。

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【名言】として伝わる身近な偽書

 厳密には書物とはいえないが、「あまりにも有名になりすぎたため、現在では偽書だということさえあまり知られていないもの」として挙げられている、『東照宮御遺訓(とうしょうぐうごいくん)』は、一般的には徳川家康が残した教訓とされている。しかし、「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し。いそぐべからず」で始まるこの文章、実は江戸時代の後期に水戸黄門(徳川光圀)が残した言葉として広まったものを、臨済宗の禅僧である白隠慧鶴(はくいんえかく)が元の教訓を一部改変して家康の言葉として出版し、さらにそれを明治時代の池田松之助という元旗本がまた一部を改変したうえ、家康の直筆文書の体裁を整え日光東照宮に奉納してしまったのだそうだ。しかも著者によれば、おそらく光圀とも「無関係なもの」らしい。そうなると、最初に考えた人物は誰なのか…。

世界と日本を戦争に巻き込んだ【二つの偽書】

 先の「江戸しぐさ」や「東照宮御遺訓」ならば、内容自体は悪くないから目くじらを立てなくてもと思う向きもあるかもしれないが、偽書が招いた大きな悲劇もある。著者が「史上最悪の偽書」として挙げている『シオンの議定書』なるものは、ユダヤ人組織が「世界征服の実現を成し遂げる」と説いている内容で、ロシア帝国においてユダヤ人迫害を正当化する文書として利用され、欧米諸国での反ユダヤ的傾向を後押しし、ナチスドイツの反ユダヤ政策の根拠に用いられ、多くの人命を奪うこととなってしまった。この偽書には種本があるそうで、フランス第二帝政皇帝ナポレオン三世の強圧的な政治と人気取りのうまさを「風刺した」匿名の小冊子だという。

 そして「世界征服計画」という言葉は、米中に利用されることとなる。それが『田中上奏文(たなかじょうそうぶん)』と呼ばれる偽書で、昭和2年当時の田中義一首相が昭和天皇に建白したとされた文書だ。「世界を征服せんと欲すれば、必ずまづ支那を征服せざるべからず」といった内容のこの文書は、現在では中華民国の反日運動家によるプロパガンダだったと分かっている。だが当時のアメリカでは本物の機密文書として認識され、戦争終結条件を示したポツダム宣言には、「世界征服の挙に出づるの過誤」に導いた日本の指導者を排除するとうたう条文が入っている。

 世界征服…。現代の感覚ではおよそ馬鹿馬鹿しい限りだが、連合国軍側は本気で「世界征服への共同謀議」を恐れていたのである。現代でも陰謀論がメディアやネットで流布されていることを鑑みれば、私たちは慎重に吟味しなければならないと思い知らされた。

文=清水銀嶺