憎かった兄が死んだ。一刻も早く持ち運べるサイズにしてしまおう…死と向き合い憎しみを弔った家族の記録

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/7

『兄の終い』(村井理子/CCCメディアハウス)

「あなたが死んでも、私は絶対に泣かないから」
家族のことをずっと駒のように扱ってきた父親へ、私は何度この言葉を向けてきただろう。親の老いを感じるたびに、その死が迫ってきているような感覚もする。愛せなかった相手のことを、いったいどう弔えばいいのだろう? そう思ってきた私にとって、『兄の終い』(村井理子/CCCメディアハウス)で、著者が憎んだ親族に対して行った弔いは、とても心に響いた。

ずっと憎かった兄が突然死して…

 本書で語られる物語の始まりは、2019年10月30日の夜遅くにかかってきた1本の電話から。関西に住む著者の携帯に、宮城県の警察署から「お兄さんの遺体を引き取りに来てほしい」との連絡が入った。自宅アパートの一室で亡くなった兄を発見したのは、まだ幼い彼の息子。離婚後、再婚しておらず、両親も他界していたため、唯一の肉親である著者が遺体を引き取る必要があったのだ。

 突然の知らせに著者は混乱しながらも自身のスケジュールと照らし合わせ、叔母や元妻たちに協力してもらってスピーディーに遺体を引き取り、火葬し、兄が住んでいたアパートを引き払おうと決意する。

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“一刻も早く、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。”

 そこから、怒りや涙、そしてほんの少しの笑いが混在する怒涛の5日間が始まる。

 著者の中にある、生前の兄との記憶は決していいものではなかった。

“兄は誰かに助けてもらわなければ生きられない人だった。それまでも、両親、配偶者に頼り生きてきた。”
“涙もろさは、欺瞞であり、まやかしだった。嘘ばかりつく人だった。乱暴で、人の気持ちが理解できない勝手な男。母が兄をどう庇おうとも、私からすれば、そんな兄だった。”

 お金にだらしがなく、機嫌が悪ければ暴言を吐いていた兄。そんな印象をもったまま縁を絶っていたから、斎場でも泣けず、初めてアパートに足を踏み入れた時には兄の亡霊に怯えたという。

“兄の魂は、たぶんまだここにいる。そう思ってぞっとした。”

 だが、雑然と散らかったアパートの片づけを無我夢中で進めるうち、心境は少しずつ変わっていく。居住者がいなくなってもまだ貧困のにおいが立ち込める部屋には、息子を懸命に育てようと必死でもがいていた痕があった。さらに、生活保護を受けようと手続きをしていたことや、寂しさから周囲の人へ頻繁に電話を掛けるようになっていたことなど、絶縁状態が続き知らなかった兄の「直近の姿」に、著者は心を激しく揺さぶられる。

“私は、兄のことを知っていたようで、ほとんど知らなかった。一方で、兄は私のことをよく知っていたようだ。私が新聞に書いたコラムや雑誌に掲載された新刊情報などが、切り抜いて引き出しにしまってあった。(中略)兄はどんな思いでそれを切り抜き、集めてくれていたのだろう。”

 過去に家族から受けた傷は消えず、許せない痛みもあるだろう。けれど、一度立ち止まってみてほしい。憎しみに執着するあまり、その人の「今」から目を背けてしまってはいないだろうか…と。湿っぽくなってしまいがちな最期の時を絶妙なユーモアと感傷を交えながら綴った本作からは、憎み切れない家族への想いが透けて見えてくると同時に、自分自身もまた家族との向き合い方を考えたくなる。

 死んだ時に泣けなくても、故人の人生をないがしろにするような弔い方はしないようにしたい。本書を通じて、兄の死が生んだきょうだいの繋がりを知ると、そんな思いに駆られ、自分が恨むあの人の弔い方にも思いを馳せたくなる。いつか訪れる最期の時には、憎しみもしっかりと弔って、憎いあの人を見送りたい。

文=古川諭香