ピエール瀧の薬物問題による自粛はなんのため? 過剰な忖度が生む奇怪なメカニズム

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公開日:2020/6/13

『音楽が聴けなくなる日』(宮台真司、永田夏来、かがりはるき/集英社)

 日本のテクノ・ユニット、電気グルーヴのメンバーであり、俳優としても活躍していたピエール瀧が、2019年3月12日に麻薬取締法違反の疑いで逮捕された。逮捕の翌日、レコード会社は彼らの音源/映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を決定した。こうした過剰で過度に想える「自粛」に異を唱える著者たちが、この問題の背景や構造に迫った。それが、宮台真司と永田夏来とかがりはるきによる共著『音楽が聴けなくなる日』(集英社)である。

 逮捕後、ピエール瀧が俳優として出演していたドラマ『いだてん』では急遽代役が立てられ、相方の石野卓球がDJを行うはずだったイベントは中止に。永田が言うところの日本的な「事なかれ主義」の典型例だ。例えば自粛の根拠やポリシーが分かれば、それを争点が闘うこともできるが、今回の自粛にはそれが皆無。事を荒立てず、波風を立てたくない、という過剰な忖度が背景にあるのは自明である。本書での仔細な検証はそうした現状を浮かび上がらせる。

 かがりによる第二章は、これまでの「自粛」の歴史が綴られている。過去の例を参照すると、レコード会社も、最初は自粛の理由を具体的に説明していたという。例えば、99年に槇原敬之が覚せい剤で逮捕された際、レコード会者は声明を発表。関係者が協議を重ね練り上げた、かがりが言うところの「血の通った」文章をレコ―ド会社側が認めている。

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 一方、ピエール瀧のケースはそれと好対照で、先述のような「血の通った」声明文もなく、関係者の誠実さが欠けているのは明らかでは、と筆者は思う。また、ピエール瀧の相方である石野卓球もこうしたレコード会社とのやりとりに嫌気がさしているようで、加熱するメディアの報道合戦にも疑問を呈する。例えばTwitterではピエール瀧への報道について「おいフジテレビ“グッディ”よ。朝から瀧の自宅の前で張り込むのやめてやれよ。彼の家族はもちろんご近所さんも迷惑してるぞ」と投稿した。

 そうした中、この自粛に反対する署名が海外も含め6万人以上から集まる。だが、レコード会社はこれに対して終始無関心で無反応。年々こうしたケースへの寛容さが失われている、とかがりは言う。今回の自粛に限らないが、理由や根拠が分からないまま、自粛という現象がひとり歩きするのだ。

 大麻で捕まったDJ/ミュージシャンの高野政所の証言も掲載されている。高野は事件を機に性格が変わったという。「何事にも怖くなりました。踏み込んだり思いっきったりすることができなくなって、いつもびびって生きている感じです。もちろん悪い事をしたのはしたけれど、ここまでなのか?と思います」。ラジオを筆頭にメディアで愉快で軽快なトークを繰り広げていた彼の面影を見られなくなってひさしい。かつての彼の雄姿を見ることはもはやできないのだろうか?

 ミュージシャンや俳優は薬物や不倫の問題で攻められると、「ご迷惑をかけてすみませんでした」と一様に発言する。だが実際、誰がどのように誰に迷惑をかけたのか判然としないまま、ミュージシャンのライヴが中止になり、俳優はドラマの主役を降板する。

 ドキュメンタリー作家の森達也は『放送禁止歌』という著作で、歴代の放送禁止歌について、何が自粛に向かわせたのかについて精査している。だが、実際には皆が想定する「上の人」など存在せず、自主規制は成り行きで発動したという。犯罪を肯定するつもりはまったくないが、その犯罪がどういうルートを経て成されたものなのか。そして、どう社会に影響を与えるかには自覚的であるべきだ。本書を読んでそんな想いを強くした。

文=土佐有明