風俗店オーナー殺しのアリバイに娘を使う非情な母親? 被虐待児の苦しみを描く『あの子の殺人計画』

文芸・カルチャー

公開日:2020/6/14

『あの子の殺人計画』(天祢涼/文藝春秋)

 もしあの時、自分が違った生き方を選べていたら…。大人になって過去を振り返ると、そんな後悔に押しつぶされそうになることがある。二度と戻れはしない「あの頃」。そこに、人生の行方を決める岐路があったように思えてならない。愛に囲まれて微笑む友達と、癒えない幼少期の傷を背負い続ける自分の人生の差は、いったいどこで決まってしまったのだろう…。
 
 そんなことを考えさせるのが、『あの子の殺人計画』(天祢涼/文藝春秋)だ。本作は、人生における“不平等”にスポットを当てた社会派ミステリー小説。“ありえたかもしれない希望”を掴み取ることができなかった人々の涙が克明に描かれている。

児童虐待の裏で起きた殺人事件の結末は――…

 作者の天祢涼さんといえば、2019年本屋大賞発掘部門で最多票を集めた『希望が死んだ夜に』(文藝春秋)の著者でもある。子どもの貧困問題に迫った同作では朗らかで芯の強い仲田巡査部長と強面の真壁刑事が活躍したが、その名コンビが今作でも大奮闘する。

 物語は大手風俗店「ラバーズX」のオーナー、遠山菫が刺殺されたことで幕を開ける。容疑者は、以前その風俗店で勤務していた椎名綺羅。綺羅は娘のきさらと2人で暮らすシングルマザーだ。

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 早速、真壁は宝生巡査部長と共に綺羅やきさらへアリバイを聞きに行くが、2人は共に「事件の日は一緒に家にいた」と言う。だが、真壁はそこに言葉にできない違和感を抱く。もしかしたら、きさらは母親に証言を強要されているのかもしれない…そう思い、これまで数多くの少年殺人事件を解決に導いてきた仲田に協力を要請する。完璧なアリバイの中にあるかもしれない“ほころび”を見つけ出そうというのだ。

 一方、現在小学校5年生の椎名きさらは、クラスメイトからの指摘によって、自分の家の異常さに気づく。シャワーを使って日常的に母親から行われる「水責めの刑」は悪いことをした自分を反省させるためのしつけだと思っていたが、それが母親の憂さ晴らしのためだったことに気づき、心が曇る。

 これまで信じていたものが嘘に変わった時、少女の頭に浮かんだのは、他の家の子になるために母親を殺す計画だった。暴走し始めた心の闇は、誰も想像しえないラストを引き寄せる――。

 本作を、よくある児童虐待系のストーリーだと侮ってはいけない。特に230ページから次々と明かされていく衝撃の事実に、あなたはド肝を抜かれるはずだ。そして、興奮の波がひと段落したかと思った後に再び襲い掛かってくる更なる驚き…。開いた口が塞がらないかもしれない。

“ラバーズXから情報を得た警察が自分にたどり着く可能性は大いにあるが、問題ない。娘を使ったアリバイトリックは完璧だから。”

 容疑者のひとりである綺羅が、なぜこれほどまでに自信を持つことができるのか。その裏にある“親子の絆ではない何か”は、読者を驚愕させる。ボロボロになりながらも必死に生きようとする被虐待児に対して、読者でありながらひとりの大人として謝りたくなるかもしれない。

 私たちの人生は、小さな不運と奇跡がいくつも積み重なってできている。だが、中には誰の目にも留まらずにセーフティーネットからこぼれ、不運ばかりを背負い込んでしまう子どももいるように思う。自力では生きていけない子どもにとって、親は唯一の命綱。その絶対的存在から蔑ろにされてしまったら、いったい誰に助けを求めたらいいのだろうか?

 児童虐待に潜む“大人に立ち入れない領域”を描いた本作は、命がけでもがく被虐待児の苦しみを伝える1作。

 子どもの頃の自分は「逃げる」という選択肢を見つけることができず、今の道にたどり着いた。だからこそ、今苦しんでいる若い命には「別の生き方もあること」が伝わってほしい。人生は平等ではないかもしれないが、耐えがたい痛みを感じた時には自分を責めず、SOSの声をあげてもいいのだ。その心は傷つくためではなく、きっと誰かからの愛で満たされるためにあるものなのだから。

文=古川諭香