日本人男性とフィリピン人女性の愛の結晶――出自を活かし、シンガーやボクサーとして生きるハーフの子供たち

社会

公開日:2020/6/15

『ハーフの子供たち』(本橋信宏/KADOKAWA)

 日本にはかつて、アジア各国から働きにやってきた女性たちを「ジャパゆきさん」と呼び、劣悪な職場環境で働かせていた悲しい歴史がある。そんな中でも、フィリピン人女性はその美貌と情熱的な愛情表現で日本人男性を虜にしてきた。
 
 そんな国際恋愛の末に誕生した日比ハーフの人たちは、一体どんな人生を送っているのか。それを解き明かすのが『ハーフの子供たち』(本橋信宏/KADOKAWA)だ。本作には、日本社会への適応を模索し、独自の出自を活かしながら懸命に生きる6人の男女の人生がしたためられている。

「雨が降ったら私を思い出して」と願うロックシンガー

 雨空を見ると、私たちはなぜか憂鬱なきもちになってしまうもの。だが、そんな雨に自分を重ねてほしいと願う、ひとりの歌手がいる。

“ちょうどステージネームを考えていた時に、雨が降ってきて、あっ、雨、Rain、ステージネームはこれにしようと。そうすれば、雨が降ったらみんな私を思い出してくれるかなぁと。”

「レイン」と名乗るその女性は、日韓ハーフの父親とフィリピン人の母親のもとに誕生した。だが、実は両親は愛人関係にあり、実際にレインさんを育ててくれた父親は彼女の弟の実父である日本人男性だったそう。その事実を彼女は18歳の時に知った。

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 レインさんは幼い頃からフィリピンと日本を行き来していたが、日本に来た当初は日本語で自分の名前も書けなかったという。そんな自分を3歳の頃から育ててくれた継父を彼女は実父と信じていたからこそ、出自を知った時の衝撃は大きかった。

 もし自分がそんな事実を知ったら、きっと複雑な感情に心が支配されてしまうと思う。だが、レインさんは常に能動的かつ前向きに人生を歩んできた。アルバイトをする中で働くことの楽しさを知り、私立の定時制高校を2学期で退学。コンビニやフィリピンパブでのウェイター、母の店の手伝いと、3つの仕事をかけもちしていた時期もある。また、フィリピンパブで客引きをしていた頃には売り上げの増減を握る「つけ回し」を任されるくらい信頼されていたそう。

 そんな彼女が歌手への道を視野に入れ始めたのは、たびたびお店で歌っていたレインさんの歌声を聞いたキャバクラのキャストのひとりから「歌で頑張ったほうがいい」と言われたから。頼み込んでもなかなかお店を辞めさせてもらえなかったため、感謝の手紙を置いて遠方の地方まで逃げ、1カ月後に東京へ戻り、歌手としてのスタートを切った。

 その後はさまざまな血を持つ4人のメンバーたちとバンドを組み、彼女はロックシンガーとして今日もステージに立ち続けている。

 人生の中で感じてきた絶望や悲しみを希望に変換し、自分の道を模索し続けるレインさん。彼女が歩む日比ハーフとしての人生は、私たちに自分らしく生きることの重要性をあらためて教えてくれる。

 本書には他にも、キットカットをクラスメイトに配って友達を作った少女や、高みを目指すために邁進するプロボクサーのエピソードなども収録。全6人が語る日比ハーフの半生にはそれぞれに複雑なドラマがあり、その根底には信頼で繋がった親子の絆がある。

 日比ハーフだけでなく、ハーフの子は差別的な視線を向けられたり、劣悪な環境に置かれていたりすることも少なくない。そんな存在をひとりでも減らすために、国籍への偏った考えをとっぱらい、ひとりの人間として目の前の存在と向き合っていきたい。

 国際恋愛の結晶として生まれた、日比ハーフたち。その生き様から私たちは異なる文化や考えを受け入れることの素晴らしさを学ぶのだ。

文=古川諭香