伊集院静『琥珀の夢』が文庫化! 国産ウイスキー造りに邁進したサントリー創業者の商人道を描く

文芸・カルチャー

更新日:2020/6/24

『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(伊集院静/集英社)

 直木賞選考委員も務める作家・伊集院静氏が、サントリーの創業者である鳥井信治郎の生涯にわたる挑戦を描いた評伝小説『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(集英社)が待望の文庫化。鳥井信治郎は「赤玉ポートワイン」を開発し、日本初の国産ウイスキー造りに挑んで、日本に洋酒文化を根付かせることに成功した人物だ。現在では日本人の多くがビールやワインを楽しみ、サントリーの「山崎」や「白州」、「角瓶」や「オールド」といった国産ウイスキーも世界的に高く評価される銘柄となっているが、もちろん明治時代には国産のウイスキーは存在せず、国産のビールやワインもまだ珍しい時代。本書を読めば、日本で当たり前になっている洋酒文化のルーツが、鳥井信治郎が重ねてきた苦労、新しい挑戦に紐付いていることがわかるはずだ。

 物語の序章では“経営の神様”と呼ばれた松下電器産業創業者、松下幸之助との邂逅のエピソードが綴られる。信治郎は出会ったばかりの丁稚、幸之助に次のような商売の心得を教え諭す。

「誰も人がやってへん、どこの人もやってへん、どこの店にも置いてない、新しい品物を見つけるんや、作るんや。それがこれからの商いや」

 信治郎と幸之助の交流、その信頼関係は、共に日本を代表する企業人となってからも長く続いたという。

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 信治郎の“商い”の根本的な姿勢は、幸之助に教示した通り、常に何か新しいこと、他がやっていないことへの挑戦だった。13歳で丁稚奉公に出た薬種問屋の主人が没頭していた洋酒造りの手伝いに励んでいた信治郎は、独立後に自らも葡萄酒の商いをしようと決意。「日本人の味覚に合う味わい」を求めて何度も失敗を重ねながら、ついに満足のいく「赤玉ポートワイン」の開発に成功する。日本初のヌードポスターを使った広告が話題になったこともあって事業は軌道に乗っていくが、そこで信治郎は長年の夢だった国産ウイスキー製造に着手。まったくノウハウがない中、ゼロから製造所を建設し、さらに樽に貯蔵して5~10年と熟成させなくては商品にならないウイスキー製造のコストは莫大だ。とても商いとして成立するものではなく、事業の屋台骨を揺るがすとして奉公人の全員が反対したが、それでも信治郎はウイスキー造りに邁進する――。

 日本近代史の激動と合わせて描かれる信治郎の人生、商いにかける情熱とエネルギー、口癖である「やってみなはれ」に表れているチャレンジ精神は、大きな成功をおさめた企業人としてだけでなく、ひとりの人間として強烈な個性と魅力があふれるものになっている。中でも印象深いのは、繰り返し強調される“陰徳”という行動原理だ。これは善行を積んだり、人に援助の手を差し伸べたりしたときに、それを讃えられたり、礼や感謝をされるようであってはならないという考え方だ。信治郎は底知れぬ執念で自らの商いを追求していくが、そこには常に利他と謙虚な心があった。信治郎が求めたのは自らの利益ではなく、商人としての理想、信念の成就だったのだろう。

 明治大正昭和という時代を駆け抜けた信治郎の人生は、力強く、誇り高い。名実ともにグローバル企業として成長を続けるサントリーの根底には、信治郎の口癖だった「やってみなはれ」の精神が今も流れているという。

文=橋富政彦