『笑点』現役最古参にして最高齢の木久扇師匠が語る「人生のトリセツ」とは?

文芸・カルチャー

更新日:2020/7/4

『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば』(林家木久扇/文藝春秋)

 日本テレビの長寿番組である『笑点』の現役最古参にして最高齢メンバーである林家木久扇師匠。その天衣無縫のド天然キャラに親しみを感じる読者はきっと多いだろう。だがしかし、実業家としての姿も忘れてはいけない。しばしばネタにされる「木久蔵ラーメン」――自身の名を木久扇と改めても「木久蔵ラーメン」なのだ――は、実店舗こそ閉店となってしまったが、今でも東京土産として親しまれ続けている。そんな多面性を持った木久扇師匠が人生を指南するとどうなる?

『イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば』(林家木久扇/文藝春秋)は芸能生活60周年を迎えた木久扇師匠が、これまでの人生の中で習得してきた「生き方」の指南書である。噺家らしいユーモラスな語り口ながらも、現代人の心を温め、時に気づきを与えてくれる一冊だ。

 本書は木久扇師匠が自身の体験に基づき88の「ことば」を解説しているが、中でも【発想を柔らかくして、慣習にとらわれない】の項目で語られているエピソードに注目したい。前座としての初高座を迎えた時、「寿限無」しか覚えていなかったそうだが、その際に別の噺家から「短く」との要請が。しかし、話の短縮のしようがないと思案した挙句、落語の代わりに当時大流行していた森山加代子の『月影のナポリ』をツーコーラス歌い切ったのだ。なんとも発想が柔らかすぎるし、この大胆さは、実に驚きだ。

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 勿論、他の噺家は怖い顔をしていたのだが、その中で一人大笑いで出迎えた人物がいた。それが先代三遊亭円楽だ。実はこれが縁となり、後の『笑点』での長い付き合いになるというのだから、不思議なものである。しかし、いかに柔らかすぎても決して高座をないがしろにしてはいない。次の項目は【芸に馴れ合いなんていらない】とし、『笑点』メンバーとは私生活において適度な距離をとっているというのだ。内輪のノリが画面に出るのを嫌い、芸に緊張感があったほうが、また観てもらえると考えてのことだ。

 さらに言えば【笑いながら高座を降りてくる名人はいない】とも語る。「お客さんをワーッと笑わせて高座を終えて袖に戻ってくるとき、意外にブスッとした表情をしている。ウケたなって満足顔で戻ってきたりはしないんですよ」。己に厳しい芸人はたとえ舞台上で客にウケても、そして裏側の楽屋といえど気を抜かず、常に成長を怠らないというのだ。さすがは芸歴60年。テレビや高座でどんなに「バカ」を演じても、芸に対して実に真摯な姿勢で向き合い続けている。だからといって、見る側は崇め奉る必要はない。すべては笑ってもらうための努力だから。

 では、タイトルにもある【イライラしたら豆を買いなさい】とはどういうことなのか。これは打って変わって難しいことは言っていない。「人間歳を取ると、イライラして怒りっぽくなりがちでしょう。そんなときにはね、豆を買いに行ったらいいってアドバイスしてるんです」。師匠自身、数種類の煎り豆を買ってオリジナルのブレンドを施し、それを小分けにして持ち歩き周囲に配っているそうだ。曰く、豆いじりが楽しく、またそれを人にあげて喜んでもらうのが気持ちよいというのだ。自身が楽しく他人も楽しませられれば心が晴れるのは、誰しも当然だと思うかもしれない。しかし多くの人は実践できていないのでは?

 小生自身、仕事や私生活でままならないことが多く、落ち込むことが増えている昨今だが、そんなときに小難しいことをグダグダと上から目線で言われたところで、全く響かない。だが、木久扇師匠の金言、名言(迷言?)はすんなりと入ってくる。やはり師匠の人間性が、疲れ凝り固まった人々の心をほぐしてくれるのかと思う一冊だ。

文=犬山しんのすけ