これってほんとにフィクション!? 東京近郊で発生した謎の感染症をめぐる疫学者たちの戦い

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/17

『エピデミック』(川端裕人/集英社文庫)

「感染症と戦う人たち」というと、どのような人たちを思い浮かべるだろうか。多くの人が患者の治療にあたる医師や看護師などの医療従事者を思い浮かべるに違いない。だが、その他にも感染症に果敢に立ち向かう人たちはいる。たとえば、フィールド疫学者。彼らは、疫学という手法を用いて、疾病の発生原因を探し求める。感染症をいちはやく収束させるために、ひとりでも多くの人を救うために、奮闘し続ける存在なのだ。

 そんな疫学のエキスパートたちの姿を描いた小説が今、大きな話題だ。川端裕人氏著『エピデミック』(集英社文庫)は、フィールド疫学者と未知の感染症の戦いを描いた作品。執筆に際して、「8割おじさん」の異名でも知られる北海道大学教授の西浦博先生などへの取材が敢行されたためか、その内容はリアリティーたっぷり。まるでノンフィクションを読んでいるような緊張感を感じさせられる作品なのだ。未知の感染症がとある都市をむしばみ、都市の封鎖が行われるさまは、まるで新型コロナウイルスの感染拡大を見ているよう。2007年に書かれた作品だが、今の時代にこそ読んでみてほしい1冊だ。

 舞台は、東京近郊C県の街・崎浜。この地域では、インフルエンザを重症化させる患者が続出していた。インフルエンザは高齢者以外ではほとんど重症化しないはず。だが、崎浜で流行するインフルエンザは、子どもたちが罹っても軽症であるが、大人が感染すると、爆発的な発熱を生じ、若年者でも人工呼吸器をつけなくてはならないほど肺炎を重症化させるのだという。国立集団感染予防管理センター実地疫学隊隊員・島袋ケイトは、調査のために崎浜を訪れる。疫学によって、謎の感染症の正体を明らかにしようとするケイト。だが、重症患者が増えていき、死者が出はじめても、感染源は特定されない。一体、この感染症は何が原因で起きているのか。ケイトの戦いは続いていく。

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 ケイトの仕事は、この物語の表現を借りれば、「元栓を見つけて、きゅっと締める」こと。そのための方法は至ってシンプル。患者たちがいつどこで感染したのか、徹底的に聞き込みし、統計学を使って可能性を絞り込んでいくのだ。何度も仮説を立てては検証し、うまくいかなければまた別の仮説を立てる。足で稼ぎ、状況を整理し、あらゆる可能性を考えては、感染症の源はどこにあるのか、推理していく。そのさまは、まるで探偵。この本は、感染パニック小説かと思いきや、感染症流行の犯人を探すミステリーなのだ。

 しかし、ケイトがいかに優れた疫学者だからといって、感染源はそう簡単には見つからない。それは、崎浜には、感染症の原因となりそうなものが数多くあるためだ。海も山もある自然豊かな地域だから動物も多いし、動物愛護団体の施設もあれば、怪しげな宗教施設もある。患者の中には中国から帰国したばかりの人もいるからSARSの可能性も…。そんな状況の中、ケイトは聞き込みで得た情報を元に、どんな答えを導き出すのだろうか。

 人の命を救うのは臨床医だけではない。感染の元栓を探し出すことで、感染症をいちはやく収束に導こうとするフィールド疫学者たちの活躍もまた、人の命を救うものだ。今回の新型コロナウイルスの流行でもケイトたちのような疫学のプロフェッショナルたちが奮闘し続けている。感染症との戦いの裏側を垣間見られるこの作品は、新型コロナウイルスの流行と重ね合わせずには読めない。感染症と戦うすべての人に頭の下がる思いがしてくる作品。

文=アサトーミナミ