“化石”に秘められた古代のドラマチックな世界とは! 偶然が重なって生まれた奇跡の存在と物語に興奮

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/11

『化石ドラマチック』(芝原暁彦:監修、土屋健:著、ツク之助:絵/イースト・プレス)

 小生は幼い頃より、恐竜が好きで博物館などの化石展示には、何度も通ったものだ。成人後はめっきりと見る機会が減ってしまったが、2019年に東京都の国立科学博物館で開催された「恐竜博2019」には出向いてきた。久々に見る巨大な化石の姿にとても興奮したものだが、幼少期の想いとはまた違う角度で見ることができた。新発見がなされ、調査が進むたびに過去の常識が覆されるのも、実に知的好奇心を刺激される。

『化石ドラマチック』(芝原暁彦:監修、土屋健:著、ツク之助:絵/イースト・プレス)は、化石となってその姿を残した古生物たちの「死のドラマ」に迫る一冊。当然ながら化石とは死後の姿であり、その死には様々な要因がある。食物連鎖の中で天敵のエサになる例も多いが、それだとバラバラになってしまい復元できなくなる。また全体像を把握できる程に骨格が残るには、地震や風雨からも守られる必要がある。それらを乗り越えて人間に発見されたとき、初めて化石として日の目を見るのだ。

 ただでさえ、一体の全身化石が見つかるのは奇跡的なのだが、その中でもごくまれに複数の化石が絡み合った状態で見つかることがあるという。本書で最初に取り上げられている、肉食恐竜が草食恐竜を襲っている決定的な瞬間がそのまま化石となって発掘されたような例である。

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「格闘恐竜」と呼ばれるその化石は、小型肉食恐竜「ヴェロキラプトル」が植物食恐竜「プロトケラトプス」を襲っている姿のまま発掘されたものだ。1970年代にモンゴルのゴビ砂漠で見つかったもので、ヴェロキラプトルがその足のかぎ爪をプロトケラトプスに食い込ませるも、右腕を相手に噛まれた姿で発掘された。どちらも、その攻撃自体は致命傷ではないはずだが、近くの砂丘が崩れ巻き込まれたのか、砂嵐にあったのか、偶然が重なりその姿のまま死に至る。その時の彼らの想いは知る由もない。

 死闘を繰り広げた形跡が見られる化石といえば、小生には忘れられない一体がある。日本を代表するクビナガリュウ類「フタバスズキリュウ(学名フタバサウルス・スズキイ)」だ。小生が小学生だった頃に図鑑で読んだのだが、発掘時、共にサメの歯が多く見つかっており、一部はフタバサウルスの化石に食い込んでいたというのだ。これらの状況からサメと死闘を繰り広げていたのではと想像されており、小生自身もその壮絶な光景を想像し興奮していた……が、どうも最近は見方が変わってきているらしい。

 本書によると、共に発掘されたサメの歯は大きさが様々で、6~7匹分の物だろうと推測される。また噛み跡を調べると治癒した様子がない。複数のサメに襲われたとすると、同時にとは考えづらく、数度にわたると考えるほうが自然で、最初の襲撃から逃げのび、次に襲われる間に治癒の様子が見られるはず。つまり、それがないのなら「死んでからサメに食われたのでは」との研究があるのだ。

 この項目を読み小生は「幼き日の思い出を返せ!」と叫びたくなったが、勿論、フタバサウルスの価値は何ら変わりがない。ましてや、死んでから食われたというのなら、骨格がもっと散乱しているはず。その状況下で首を除く全身の70%ほどを発掘できたのは、やはり奇跡と呼べるだろう。

 化石の発掘調査は、地道なもの。発掘されてもぽこっと取り出せるわけではなく、周りについた岩石を丹念に削るクリーニングが必須だ。その後は、その化石がどの種であるかを同定していくが、これまでに見つかっていない新種だとさらに研究者は論文を書き、学名をつける。そうしてできた論文は、世界中の研究者から検証されるのだが、新種ではないとわかると学名も抹消されてしまう。それでも多くの研究者の努力により、様々な発見がなされてきたのだ。その事実自体がドラマチックだといえる。

文=犬山しんのすけ