障害児をもつ母たちの悲痛なSOS。「私たちはふつうに老いることができない…」高齢化する障害者家族の未来は?

社会

公開日:2020/7/15

『私たちはふつうに老いることができない 高齢化する障害者家族』(児玉真美/大月書店)

「あなたのことは一生、私たちが面倒見ていかなければならないって思ってた…」そう言って、筆者の結婚に涙ぐむ母親の姿を目の当たりにした時、彼女がこれまでに背負ってきた自責の念に泣きそうになった。先天性心疾患の私を産んだという事実は、母親の中で生涯をかけて背負わなければいけない罪だったのかもしれない――。『私たちはふつうに老いることができない 高齢化する障害者家族』(児玉真美/大月書店)は、そんな記憶を思い起こさせる1冊だった。
 
 本書では50代後半から80代の障害児の母親を中心とした45人に、子育ての体験談や老いていく中で感じている不安などを取材。重度重複障害や重度知的障害がある人の母親を主な対象とし、普通に老いることができない叫びや悩みを綴る。
 
 実は著者の児玉さんも、障害児の親。書中には娘の海さんとのエピソードも収録。わが子の安住の地を探し求める母親たちの実情は、涙なしには読めない。

大変なのは「親亡き後」だけではない。障害児の親にも支援の手を

 最近では障害児の“親亡き後”の暮らしについて目が向けられることが増えてきた。しかし、本当に考えてほしいのは“その前”にある、老障介護期。障害児だけではなく、その親にも支援の手を差し伸べてほしい…そう訴えかける児玉さんは、自身の体験も踏まえつつ、重い障害のある子どもの親として奮闘してきた母親たちの子育てについて記す。

 健康な体で産んであげられなかったという罪悪感や自責の念など、さまざまな感情と戦いながらも心をなんとか立て直し、つねに緊急事態と隣り合わせの生活の中で“わが子の専門家”として介助を担ってきた障害児の母親たち。その苦しみは周囲には理解されにくく、家族間でも障害についての認識や理解を共有できずに母親が孤立してしまうこともあるそう。病院が権威主義的だった時代には、医師や看護師から「起きている間はずっと抱いていて」「絶対に泣かせないで」など、無謀な指示も受けてきたという。

advertisement

 また、普通ならば母親の愚痴として受け止められるような弱音も、「そんなこと言っちゃだめ」と叱咤されることがあったため、母親たちは「子どもに障害があっても明るく優しく健気に頑張る良いお母さん」であろうと奮闘する。

 だが、そういった生活は、自身の老いや配偶者、両親の介護といった問題も加わり、困難なものになっている。それでも、母親たちは自身にムチを打ち、老障介護に励み続けているのだ。

 そんな母親たちを救うにはどうすればいいのか。児玉さんはこの難しい問いに独自の答えを出す。

“今のように老いても老いていないフリ、病んでも病んでいないフリで頑張り続けなければならないのではなく、当たり前に老い・病み・衰えることができるための、母その人への支援が――本人への支援とは別途――不可欠だ。”

 このやさしくて的確な答えに通ずるものが、筆者の中にもずっとあった。将来のことを想像すると生き抜いていけるのか不安になることはある。けれど、生まれてからずっと障害児としての人生を共に背負ってくれた親の老いの先には“障害児の親”ではない人生があってほしいと思う。児玉さんの叫びは障害児からの親に対する切なる願いでもあるように思う。

 障害児が豊かな生活を送れるのと同じくらい、障害児の親が自分の人生を生きるようになれることも大切なこと。日本の障害者福祉はまだ十分ではないと思ってきたが、それは言い換えれば障害児の親への支援も不十分であるということ。「母親だから頑張れ」と突き放すのではなく、共に頑張る誰かの温かさが障害者家族には必要だ。

 ノーマライゼーションのもと、地域の実態に鑑みず施設削減を進める国の施策へのもどかしさや、「かけがえのないひとり」としてわが子を扱ってもらえなければ安心して老いることができないという親の叫び。それらをすべて詰め込んだ本書は、障害児の母として葛藤し続けてきた児玉さんだからこそ書き記すことができた1冊。障害児の親にも普通に老いる権利はある。この祈りが多くの人の心に届くことを願いたい。

文=古川諭香

【こちらも読みたい】
▶義両親が立て続けに認知症に! きっかけは突然やってくる…《書き下ろし》/子育てとばして介護かよ