“ざらざら”は、あなたが生きている証拠――気鋭のイラストレーター初の著書

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/20

『ざらざらをさわる』(三好愛/晶文社)

 この本を見つけた瞬間、中身を読んでもいないのに「この本は紹介しなくてはいけない」と思った。私は基本的に思いつきや直感に頼らず、どちらかと言えば慎重で、ちくちくと細かいところに拘泥し、きっちり調べ物をして、物事を熟慮するタイプだ。だからこんなことはとても珍しいのである。

 今注目のイラストレーターである三好愛さんの絵は、川上弘美さんの小説『某』の表紙などになっていたので知ってはいたものの、いったいどんな文章を書かれるのか、またどんな内容なのかもまったく知らなかった。しかしタイトルの「ざらざら」という言葉がどうにも私の心を掴んで、離してくれなかったのだ。本を手に取って読み進めると予感は確信となり、直感は間違っていなかったと思った。生きていると、ときどきこういう本に巡り合うのだ。

 本書『ざらざらをさわる』(ちなみに三好さん初の著書だ)はエッセイと、その話の内容を描いた不思議な生き物と目だけの無表情な人が登場する絵で構成されている。綴られる内容は嫌なことを切り抜けていくコツであったり、少女時代からかけられ続けた呪いに気づくことであったり、子供の頃の奇妙な思い出であったり、物事の本質に触れた瞬間であったり、すいとんや蟹など食べ物のことであったり、ついつい自意識が邪魔をしてしまうことであったり、日常に非日常が入り込んでくることであったりといった、日々の生活の中の小さな出来事である。三好さんは「なめらかには進めなかったけれど、とんでもないでこぼこでもなかったな」ということを「ざらざら」と表現し、記憶の中の出来事を独自の視点から丁寧に描写していく。

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「ざらざら」という感触に悪い印象を持つ人もいるかもしれないが、いざさわってみると、それはとても気持ちの良いものだった。見栄え良く加工されたつやつやしたものよりもずっと、ずっと良かった。ざらざらは誰かが生きてきた痕跡であり、その痕跡はときに立ち止まり、悩みながらも歩く人たちの道しるべとなるものだ。紡がれた文章や絵はもやもやとした気持ちを子細に点検し、外側からさわって確認できるようになったものであり、目にした人が「私が悩んでいたのは、そういうことだったのか」と理解することができる。そんな小さな出来事が、本の中で静かにつながっているのだ。

 世間で「普通」といわれるところから少しでもはみ出してしまったり、人と違っている部分を誰かに知られてしまうと、途端に生きづらさを感じたり、爪弾きにあったり、見ず知らずの人から心をぐさぐさと刺されるような言葉を投げつけられる。そんな今の世の中に息苦しさを感じている人には、この本はとても良い空気穴になってくれる。そして孤独が持つ力に、改めて感じ入ることになるだろう。

 実はこのレビュー、本を読みながらスマートフォンのメモ機能でほぼ書き終えてしまった。普段の私なら最後まで読み、どこをどうまとめるのかじっくりと考えてから書き始めるのだが、本の内容に引き込まれ、予想外の書き方をしてしまった。そのくらい、この本をお勧めしたい気持ちがぐいぐいと先走ってしまったのである。

 ちなみに本書のカバーを外したところ、一面真っ黒な装幀で、三好さんの素敵なイラストがあるかと期待していた私は落胆してしまった。しかし印刷の不具合かと思っていた部分が、表紙に描かれている奇妙な生き物の目だとわかった瞬間、驚いてどきどきした。そして「そうか、そうなのだよな」と思い至った。ざらざらは、心の中の暗い場所にいる――その手ざわりこそ、“個”である自分が生きて、考えている証拠なのだ。

文=成田全(ナリタタモツ)