カジノは合法に? でも賭け麻雀は違法? 法律の常識を疑う重要性

社会

公開日:2020/7/27

あぶない法哲学
『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン(講談社現代新書)』(住吉雅美/講談社)

 庶民にはどうにも納得できない判決が、時に出る。その都度、日本の司法は機能しているのか、と憤ってしまう。専門家にとっては常識でも、庶民にとっては非常識な部分が目立つもの。それが法律らしい。

『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン(講談社現代新書)』(住吉雅美/講談社)は、法律の哲学である「法哲学」について、解説している。

 人間社会のさまざまなルールの中で、なぜ法律だけが国家権力による強制力をもつことができるのか、そのような法律を成立させ存在させるものは何なのかを問う。

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 本書は、法律の常識を問いながら、読者の法律に対する猜疑心を駆り立てていく。そうすることで、読者の法律に対するリベラルな目を養おうとしている。

 本書はズバリ、次のように述べる。

「法律に正しさを期待するな」

 例えば、ご存じのとおり、日本の刑法では賭博は犯罪だ。自分の財産を自分の好きなところに投ずる個人の自由行為だとしてもだ。しかし、芸能人がラスベガスで賭博をやっても、犯罪で捕まったりはしない。刑法3条「国外犯」のリストから賭博が除かれているからだ。ここに、道徳や正義はない。賭博が倫理的にどうなのか、人として正しいことなのか、という観点は無関係なのだ。ただ、ルールとして機能するのが、法律である。

 賭博といえば、賭け麻雀が話題になった。連日、ワイドショーなどで取り上げられたため、賭け麻雀の是非についてあらためて考えた人がいるだろう。

 カジノは合法なのに、なぜ賭け麻雀は違法なのか? やはり、明文化されているからだ。刑法185条には、次のように明記されている。

賭博をした者は、五〇万円以下の罰金または科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまる時は、この限りでない

 やはりか、で見逃さないでほしい。条文の後半に注目してもらいたい。「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまる」なら、この限りではない、と明記されている。主観的な書き様だが、少額だったり、スナック菓子程度を賭けただけだったりしたなら、違法の範囲外だと主張できそうな気もする。しかし、ここに前例主義が立ちはだかる。大正時代の大審院(いまの最高裁判所)判決では、この条文が「金銭はその性質上、一時的な娯楽に供する物とはいえない」と解釈され、今でもその精神が生き続けており、1円でも賭けたら違法となるのだ。

 賭け麻雀は違法となるが、逮捕されない場合もある。刑事訴訟法には「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としない時は、公訴を提起しないことができる」という条文がある。警察や検察の裁量によっては有名人などが逮捕されないことがあるのは、ここが根拠になっている。

 逮捕されるか、されないか。それはある意味運次第でもあり、法律がそう明言してしまっている。つまり、欠陥品ともいえる。

 本書は、「常識」を池にたとえている。人々が何も考えずに依存し、欲望や悪意、業を投げ込んで淀む定めにあるもの、それが常識。法哲学は、常識という淀みをぜんぶ抜き、赤裸々にしてあらためて直視するものだと、巻末で述べている。

「池の水をぜんぶ抜く」に通ずる法哲学が、社会で淀みが目立つ今、必要とされているのかもしれない。

文=ルートつつみ(@root223)