引退年齢まで9カ月…二足のわらじで日本チャンピオンを目指す36歳のボクサーを描いた感動実話

文芸・カルチャー

更新日:2020/7/30

一八〇秒の熱量『一八〇秒の熱量』(山本草介/双葉社)

 夢みることを忘れたのはいつのことだろう。年を重ねるごとに、将来に夢も希望も抱けなくなってしまった。似たような日々の繰り返し。それが淡々と続くことだけを考えて日常を過ごしている。世の中の大多数の人間の姿はそういうものではないだろうか。だが、中には、いくつになっても、夢を必死で追い続ける人がいる。周囲が「無理だ」と言っても決してあきらめない。がむしゃらに夢を追い続ける人の姿にどうしてこんなにも美しく胸を打たれるものなのか。

『一八〇秒の熱量』(双葉社)は、日本チャンピオンを目指して足掻き続けたボクサー・米澤重隆の姿を描いたノンフィクション作品。著者はフリーランスの映像作家・山本草介氏。彼は、2013年1月からNHKのドキュメンタリーの撮影のため、米澤重隆を取材した。そして、米澤を追い続けるうちに、その夢にかける熱量に圧倒されていったのだという。

 どうして米澤への取材が決まったかといえば、それは、彼が置かれた状況に理由があった。取材を始めた時、米澤は、36歳3カ月。日本のプロボクサーには37歳で引退という年齢制限があるため、彼がリングに立てるのはあと9カ月しかない。だが、このルールから逃れる唯一の方法がある。それは、日本チャンピオンになること。日本のプロボクシングのルールでは、チャンピオンには年齢制限がなく、37歳以降もプロとしてボクシングを続けるためには、チャンピオンになるしかないのだ。だから、米澤は、残された時間で、日本チャンピオンになることを目指していた。しかし、米澤は、取材が始まった時点では、五勝六敗二分けという負け越しの成績。スピードもテクニックもスター性もない、平凡なB級ボクサーだった。

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 日本チャンピオンを目指す米澤がボクシングに明け暮れる毎日を送っているかといえば、決してそうではない。ボクシングだけではお金が稼げないから、働かざるを得ない。契約社員として、日勤も夜勤もある不規則な生活を送り、その合間を縫うようにトレーニングを積んでいく。こんな状況で果たして勝つことができるのか、と誰だって疑問に感じてしまうだろう。

 だが、米澤はあきらめようとしない。どうして無理をしてまで戦おうとするのか。「殴らないで勝てればいいなあって時々思います」なんて言葉をつぶやいてしまうような人なのだ。父親から「あなたは優しすぎるから、ボクシングには向かない!」と断言されるほどお人好しなのだ。しかし、どういうわけか戦わずにはいられないのだ。同世代の友人たちは皆、しっかりした仕事につき、結婚もしている。時には、心が折れそうになることもある。体だって思うように動かず、腰に持病もある。それでも、決してあきらめられない。愚直に闘い続ける米澤の姿に、ただただ心が震える。

 どうしてこんなに心揺さぶられるのかと思えば、米澤の中に、かつての自分がもっていたはずのもの、そして、今の自分が失ってしまったものを見るからかもしれない。ボクシング好きだろうと、そうでなかろうと、米澤のひたむきな挑戦に、自分が失ってしまった何かが見えてくるだろう。漠然と生きる私たちを鼓舞するような、熱い一冊だった。

文=アサトーミナミ